BT-42
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BT-42 | |
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フィンランド、パロラ戦車博物館に現存するBT-42 |
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基礎データ | |
全長 | m |
全幅 | m |
全高 | m |
重量 | 15 t |
乗員数 | 3 名 |
装甲・武装 | |
装甲 | |
主武装 | 114mm榴弾砲H18 |
副武装 | |
機動力 | |
速度 | 53 km/h(装軌)/73 km/h(装輪) |
エンジン | 400 hp |
懸架・駆動 | クリスティー式コイルスプリング,後輪駆動 |
行動距離 | km |
BT-42は、第二次世界大戦中にフィンランドが開発した自走砲(突撃砲)である。敵軍であるソ連から鹵獲したBT-7快速戦車を改修、その砲塔容積を広げ、イギリス製のQ.F. 4.5インチ榴弾砲(フィンランド名称114H18、18年式114mm榴弾砲)を搭載した。1942年から1943年にかけて18両が改装された。一般にフィンランド軍内では「クリスティ突撃砲」と呼ばれた。
目次 |
[編集] 概要
1942年春、フィンランド国営工廠は装甲師団内に新設される突撃砲部隊のための車両開発に着手、ベース車体にはソ連製のBT-7が使われることになった。
BT-7は冬戦争から継続戦争初期にかけて多数が鹵獲され、T-26軽戦車とともに、数量的にはフィンランド軍戦車部隊の主力となっていたが、すでにその火力や装甲は時代遅れになりつつあった。
BT-42に使われたのは、このうち、傾斜装甲の砲塔を持つ1937年型で、改装に先立ち、BT-7の車体は修理・オーバーホールが行われた。
搭載砲は、冬戦争中にイギリスから24門贈られ、スペインから30門を購入して保有していたイギリス製Q.F. 4.5インチ榴弾砲で、これにはフィンランドで作られた多孔式マズルブレーキが装着されていた。
改装のポイントは主に砲塔で、オリジナルのBT-7 1937年型砲塔の下部と前半を残し、これに後部が大きな箱状の装甲を継ぎ足して、大幅に容積を増している。
車体は基本的にBT-7のままだが、車体左側後部には長い箱状の張り出しが付け足され、また、フェンダー各所に工具箱、右フェンダー前部または車体後部に主砲用クリーニングロッドが置かれた。
改装第一号車であるR-702は1942年9月に部隊に送られて試験され、1943年2月までに全18両が完成した。
BT-42は旧式化した戦車・砲を組み合わせた廃品利用的色合いが濃く、性能的に到底満足のいくものではなかった。砲は分離薬筒式だったので装填に時間が掛かるため発射速度が遅く、増積されたとはいえ狭い砲塔内での操作は困難だった。
[編集] 戦歴
BT-42は突撃砲大隊に配備されたが、1943年9月にドイツからIII号突撃砲がもたらされると同大隊の装備はこれに代替、BT-42は12月に新設の独立戦車中隊に移された。
1944年6月、カレリア地峡でのソ連軍の大攻勢が始まると、独立戦車中隊は北西端にある中枢都市ヴィープリ防衛に投入された。
しかし、本来歩兵の火力支援向きのBT-42が、この戦いでは直接ソ連軍のT-34やKV-1と撃ち合うことになった。砲の圧倒的な対戦車能力不足、発射速度の遅さから、著しく不利な戦いを強いられ、この戦いで8両のBT-42が失われた。残る10両は(その後おそらく実戦に投入されることなく)大戦を生きのび、うち1両はフィンランド、パロラ戦車博物館に現存している。
[編集] 参考資料
- Esa Muikku, Jukka Purhonen "SUOMALAISET PANSSARIVAUNUT 1918-1997(THE FINNISH ARMOURED VEHICLES)" APALI
- 梅本弘『流血の夏』大日本絵画
- 『グランドパワー』1995年6月号「特集:BT/T-34戦車(1)」デルタ出版
[編集] 関連項目
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