1991年ワールドカップバレーボール
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1991年ワールドカップバレーボールは、女子大会が1991年11月8日から11月17日まで、男子大会は1991年11月22日 から12月1日まで共に日本で開催された。 女子にもオリンピックの出場権が与えらるようになった。また、大会の出場国数の枠も8ヶ国から12ヶ国へと増え、規模・権威ともにさらに大きくなった。
目次 |
[編集] 出場国
[編集] 試合方式
- 今回は全ての参加国総当りではなく、12カ国をまず6チームずつに振り分けて1回総当りの1次リーグ戦を行う。
- その後成績順に上位組、下位組それぞれ6カ国ずつに分けた1回総当りの決勝リーグを行うが、決勝リーグは1次リーグで対戦した国の対戦をそのまま持ち越し、1次リーグで当たらなかった別の組の上位3カ国との対戦を含めた5試合の成績で最終的な順位を決めるという変則方式だった。
今回は翌年のバルセロナ五輪の世界最終予選を兼ねていて、全出場チーム中まだ出場権を得ていない国の中で最上位国(男子:韓国 女子:アメリカ)が五輪出場権を獲得した。なお、男子については今大会とオランダ、フランスで世界最終予選をそれぞれ行っている。
[編集] 女子大会
[編集] 最終結果
1991女子ワールドカップ 優勝国: |
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キューバ 2大会連続2回目 |
順位 | 国 |
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1 | キューバ |
2 | 中華人民共和国 |
3 | ソビエト連邦 |
4 | アメリカ合衆国 |
5 | ペルー |
6 | 大韓民国 |
7 | 日本 |
8 | ブラジル |
9 | ドイツ |
10 | カナダ |
11 | スペイン |
12 | ケニア |
賞 | 選手 | ベスト6賞 | |||
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ベスト・プレイヤー | カレン・ケムナー | アメリカ合衆国 | カレン・ケムナー | アメリカ合衆国 | |
敢闘 | ミレーヤ・ルイス | キューバ | ミレーヤ・ルイス | キューバ | |
ベスト・スパイカー | ミレーヤ・ルイス | キューバ | 佐藤伊知子 | 日本 | |
ベスト・ブロッカー | ガブリエラ・ペレス | ペルー | 巫 丹 | 中華人民共和国 | |
ベスト・サーバー | カルデロン | キューバ | ガブリエラ・ペレス | ペルー | |
ベスト・サーブレシーバー | バトフチナ | ソビエト連邦 | 張 潤喜 | 大韓民国 | |
ベスト・レシーバー | 張 潤喜 | 大韓民国 | |||
ベスト・セッター | 馬 芳 | 中華人民共和国 | |||
最優秀監督 | ヘオルネ | キューバ |
[編集] 男子大会
[編集] 最終結果
1991男子ワールドカップ 優勝国: |
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ソビエト連邦 3大会ぶり4回目 |
順位 | 国 |
---|---|
1 | ソビエト連邦 |
2 | キューバ |
3 | アメリカ合衆国 |
4 | 日本 |
5 | 大韓民国 |
6 | ブラジル |
7 | ドイツ |
8 | チュニジア |
9 | アルゼンチン |
10 | メキシコ |
11 | イラン |
12 | チリ |
賞 | 選手 | ベスト6賞 | |||
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ベスト・プレイヤー | フォーミン | ソビエト連邦 | サミュエルソン | アメリカ合衆国 | |
敢闘 | 中垣内祐一 | 日本 | 中垣内祐一 | 日本 | |
ベスト・スパイカー | フォーミン | ソビエト連邦 | デスパイネ | キューバ | |
ベスト・ブロッカー | アイビー | アメリカ合衆国 | ディアゴ | キューバ | |
ベスト・サーバー | ディアゴ | キューバ | ネグロン | ブラジル | |
ベスト・サーブレシーバー | 盧 鎮秀 | 大韓民国 | フォーミン | ソビエト連邦 | |
ベスト・レシーバー | アコスタ | アメリカ合衆国 | |||
ベスト・セッター | 申 英哲 | 大韓民国 | |||
最優秀監督 | ヘオルネ | キューバ |