1.FCウニオン・ベルリン
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1.FCウニオン・ベルリン | |
原語表記 | 1. FC Union Berlin |
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愛称 | Die Eisernen |
クラブカラー | 赤と白 |
創設年 | 1966年 |
所属リーグ | レギオナルリーガ |
所属ディビジョン | 北部 |
ホームタウン | ベルリン |
ホームスタジアム | Alte Försterei |
収容人数 | 18.100 |
代表者 | ディルク・ツィンクラー |
監督 | ウーヴェ・ノイハウス |
1. FCウニオン・ベルリン(1. FC Union Berlin)は、ドイツのベルリンを本拠地とするサッカークラブ。ブンデスリーガに在籍するヘルタ・ベルリンと異なり、旧東ドイツ地区のクラブである。東ドイツ時代は1部と2部を往復することが多く、カップ戦で1度の優勝、1度の準優勝を果たした。ドイツ統一後もカップ戦で準優勝が1度。
目次 |
[編集] 歴史
母体となるクラブは1906年に結成された。第二次世界大戦後、東ドイツ政府の主導でサッカークラブの再編が行われ、現在のクラブは1966年に発足した。東ドイツ時代に、1967年-1968年シーズンのカップ戦(FDGB-Pokal)で優勝したのが、クラブ史に残る輝かしい記録である。1985-1986年シーズンのカップ戦(FDGB-Pokal)でも決勝にまで進出したが、1. FCロコモティフ・ライプツィヒに敗れて準優勝に終わった。リーグ戦(DDRオーバーリーガ、東ドイツの1部リーグ)では、1970年の5位が最高位であった。
1990年の東西ドイツ統一後は、スポンサー難などに苦しみ、旧西ドイツのヘルタ・ベルリンが躍進するかたわらで低迷を続けた。しかし、2000-01年のシーズンは、ウニオン・ベルリンにとって記念すべきものとなった。カップ戦(DFB-Pokal)において、レギオナルリーガ(3部)のクラブでありながら決勝まで進出を果たし、シャルケ04に1対4で敗れたものの、クラブの潜在的な実力を示すことになった。同年には、レギオナルリーガで優勝を果たし、ブンデスリーガ2部へと昇格を果たした。2001-2002年のシーズンには6位につけたが、翌年の不振から3部へ、さらに4部へと降格してしまった。2006年、オーバーリーガ(4部)の優勝を決めてレギオナルリーガへと復帰した。
2005年9月、日本人選手として奥山譲(MF)が移籍した。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- FDGB-Pokal(東ドイツカップ戦)優勝(1968年)
[編集] 国際タイトル
なし
[編集] 歴代所属選手
- マルコ・レーマー
- ロベルト・フート(ユースに所属)
- セルゲイ・バルバレス
[編集] 外部リンク
- 1. FCウニオン・ベルリンの公式サイト(ドイツ語)
サッカー・レギオナルリーガ(ドイツ) 2007-2008シーズン |
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北部 |
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南部 |
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