阿久根台風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和20年台風第20号(しょうわ20ねんたいふうだい20ごう)、通称阿久根台風(あくねたいふう)は、1945年10月に九州、鹿児島県阿久根付近に上陸した台風。規模や勢力は大きなものではなかったが、9月に大被害をもたらした枕崎台風(昭和20年台風第16号)から1ヶ月もたたないうちにほぼ同じ経路を取って通過したため被害が大きかった。
[編集] 概要
10月4日、マリアナ諸島南部付近の海上で発生し、北西にまっすぐ進んで10月9日には沖縄本島の西およそ100km付近に達して北東に転向し、10日には奄美大島の北西で955hPaの最盛期となった。台風はそのまま北東に進んで10日午後には阿久根付近に上陸、九州を斜走して11日早朝には中国地方から日本海に出て、12日から14日頃まで秋田県沖で停滞状態となったが、15日には再び加速した青森県を通って北海道東方海上に去った。
[編集] 被害状況
- 死者行方不明:451人
- 負傷者:202人
- 全半壊家屋:6181戸
台風の勢力は特に大きくはなかったが、枕崎台風の被害もまだ復旧せず、しかも終戦直後の混乱期であり、被害が大きくなった。少数の文献に、死者行方不明を700人以上としたものが見られるが、大部分は451人とする。終戦直後の情報の不確実性により大きく異なった数字が上げられたものであろうが、本項では多数説として上記の数字を採用した。
当時沖縄を占領していたアメリカ軍も大きな被害を受けたとみられるが、公式な資料は無い。
[編集] 不充分な観測結果
終戦直後で気象観測態勢も充分に回復せず、国外からの気象資料入手も不充分であった頃なので、阿久根台風の正確なデータは把握できているとは言い難い(これは、当時の他の台風についても言える)。当時は気象衛星はもちろん、飛行機観測も無く、洋上での観測データも少なかった。発生地点はもっと東に寄っている可能性もある。最盛期の気圧についても、10月は既に日本近海の海水温度は低下しつつある時期であり、奄美大島付近のような比較的高緯度で最低気圧が出る事も考えにくい。沖縄の米軍が大きな被害を受けたとすると、実際は沖縄付近かもっと南で最盛期を迎えていたとも考えられるが、真相は不明である。