錦洋幸治
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錦洋幸治(にしきなだ こうじ、1950年1月3日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身の元力士。本名は川崎 悟、最高位は前頭筆頭。
1965年3月場所、井筒部屋から初土俵をふむ。同期生に後の大関大受久晃がいた。部屋のホープとして期待され、1968年11月には18歳で十両、1969年7月場所に19歳で幕内昇進を果たしたときには、同い年の大受や貴ノ花とともに、将来の角界を背負ってたつといわれた。1970年3月には技能賞受賞、翌5月場所には横綱大鵬幸喜から金星をあげた。
しかし、このころから〈左足が流れる〉という欠陥を指摘され、本人もそれの矯正につとめたが、それが結果的には出足をにぶらせることになった。また、糖尿病になり、体の不調をうったえることも多く、それが三役昇進をさまたげた。1972年の師匠の死後の相続をめぐってのあらそいの中で、元関脇鶴ヶ嶺昭男の君ヶ浜親方について独立、君ヶ浜部屋所属となった。そのため、しこ名も返上し、川崎の本名にもどし、しばらくしてから大峩悟(たいが さとる)と改名した。
川崎でとっていた時期は十両に低迷していたが、大峩と改名後はふたたび上位に進出、1975年7月には横綱北の湖敏満から5年ぶりの金星をあげ、復活を印象づけた。しかしまもなく、下位にさがり、幕下に落ちて1977年5月場所かぎりで廃業した。まだ27歳であった。
廃業後は夫人の故郷の鳥取県米子市で飲食店を経営していたが、糖尿の悪化で失明し、店を閉じ、故郷の鹿屋に戻って再出発した。現在はマッサージ師として鹿屋市内の病院に勤務している。
[編集] 主な成績
- 三賞:技能賞1回(1970年3月場所)
- 金星:2(大鵬・北の湖各1)
- 幕内在位:27場所
- 幕内通算成績:183勝217敗5休
- 現役在位:73場所
- 現役通算成績:446勝446敗19休
- 各段優勝:幕下1(1968年9月場所)、十両2(1969年5月場所・1974年3月場所)
現役時代の体格は176cm、148kg。得意手は押し、右四つ、寄り。