鈴木喜久子
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鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、日本の弁護士(登録番号:18585)。元日本社会党衆議院議員(1期)。東京都出身。
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[編集] 経歴
- 1935年 東京府に生まれる。
- 幼少時に父を亡くし、母子家庭に育つ。
- 1954年 東京都立日比谷高等学校卒業。
- 結婚し主婦となる。
- 1964年 一念発起し大学進学を志す。
- 1965年4月 中央大学法学部入学。
- 1969年3月 中央大学法学部卒業。
- この間司法試験受験勉強。受験。
- 1980年9月 司法試験合格。
- 女性合格者中最高齢。8回目の受験であった。
- 1987年 司法修習を経て弁護士事務所開業。
- 1988年4月 第一東京弁護士会登録。
- 1990年2月 第39回衆議院議員総選挙に旧東京1区(定数3)から日本社会党公認で立候補し初当選(10人中1位、得票72117)。
- 当時の日本社会党のマドンナ議員の1人。
- 1990年3月 社会党1年生議員のグループ「ニューウェーブの会」に参加。
- 1992年11月 江田五月が結成した新派閥「シリウス」に参加。
- 1993年6月 第40回衆議院議員総選挙に旧東京1区(定数3)から日本社会党公認で立候補し落選(9人中5位、得票26711)。
- マドンナブームが去り、新党結成・政界再編の流れの中、日本社会党は55年体制成立以来最低の70議席と惨敗を喫し、他のマドンナ議員同様鈴木も大きく得票を減らし落選した。
- 落選後、弁護士活動再開。
- 1995年7月 第17回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数4)から社会党推薦無所属で立候補し落選(72人中7位、得票193161)。
- 1996年10月 第41回衆議院議員総選挙に東京13区から民主党公認で立候補し最下位で落選(4人中4位、得票24044)。比例代表東京ブロックにも名簿順位第7位で重複立候補していたが落選(惜敗率34.0%)。政界引退。
- 1998年10月~2002年9月 東京家庭裁判所八王子支部家事調停委員。
- 2007年現在 弁護士専業。九段法律事務所所属。
[編集] 役職
- 日本弁護士連合会女性の権利に関する委員会委員。
- 第一東京弁護士会常議員。
- 第一東京弁護士会業務対策委員会委員。
- 第一東京弁護士会消費者問題対策委員会委員。
- 第一東京弁護士会仲裁センター仲裁人候補者。
- 「アイムパーソナルカレッジ」アイムセラピールームスーパーバイザー。
[編集] その他の活動
- テレビドラマの「はみだし弁護士・巽志郎」シリーズ(主演・三浦友和)の法律監修を担当。
- 『朝日新聞』家庭面の法律相談コーナーを担当。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『夫婦いざこざ名ドクター鈴木喜久子の離婚クリニック』(オレンジブックス) オレンジ出版 1985年12月 ISBN 4-87179-007-X
- 『まだまだ、もっと 妻も弁護士も代議士も』 1993年8月 黎明出版 ISBN 4-947576-04-9
- 『妻たちが別れを告げるとき 熟年離婚の七つのケース』 1996年1月 河出書房新社 ISBN 4-309-01042-3
[編集] 監修書
- 『日常生活の諸届と書式 官公庁・学校・職場への届け出実例集 婚姻・出生・死亡・印鑑登録・始末書・退職など』 鈴木喜久子/監修 1990年8月 主婦の友社 ISBN 4-07-935340-5
- 『完全なる離婚 女性のための7ステップ/77ケース』(Heart createシリーズ) 鈴木喜久子/監修 1998年11月 婦人画報社 ISBN 4-573-11013-5
[編集] 共著書
- 『財産を残すなら遺言も残せ』 第一東京弁護士会遺言センター/編 1989年6月 実業之日本社 ISBN 4-408-13109-1