野尻湖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野尻湖 | |
---|---|
所在地 | 長野県上水内郡信濃町 |
面積 | 4.56 km² |
周囲長 | 16 km |
最大水深 | 38.5 m |
平均水深 | 21 m |
貯水量 | 0.096 km³ |
水面の標高 | 657 m |
成因 | 堰止湖 |
淡水・汽水 | 淡水 |
湖沼型 | 中栄養湖 |
透明度 | 5~7 m |
野尻湖(のじりこ)は長野県の北部、上水内郡信濃町にある湖。芙蓉(ふよう)湖の別名でも呼ばれる。ナウマンゾウが出土する湖としても知られており、発掘調査が行われている。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに上信越高原国立公園に指定されている。
目次 |
[編集] 地理
長野県では諏訪湖に次ぐ2番目に大きい湖である。標高654メートル、面積4.56平方キロ、水深38.5メートルの湖。東に斑尾山、西に黒姫山があり、この両山に挟まれた高原の湖。
[編集] 成因
諸説が存在し、斑尾山の噴出物によってせき止められたという説と、黒姫山の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある[1]。
[編集] 利用
[編集] 発電
日本で初めての揚水発電所(池尻川発電所、1934年)が設置されている。
[編集] 観光
日本三大外国人避暑地の1つ(神山国際村)に数えられる。夏季にはマリンスポーツが盛ん。他方、寒冷地にあるにもかかわらず冬季でも結氷しない湖であり、冬季には「ドーム船」と呼ばれるストーブを備えた船で行うワカサギ釣りが楽しめる。
野尻湖観光汽船・野尻湖定期船会社によって3隻の遊覧船とレンタルボートが運営されており、これを利用することによって湖上に浮かぶ琵琶島を訪れることが出来る。同島には、宇賀神社と宇佐美定行のものとされる墓が存在する。
[編集] 漁業
漁協は遊漁などを目的としてワカサギ、ヒメマス、ヘラブナなどを放流している。
[編集] 生態系の変化
約80年前にはナマズ、ギギ、ドジョウ、フナ、タナゴ、コイ、ウグイ等15種類の生息が記録されている。1900年代初頭には車軸藻(シャジクモ)類、ホシツリモ、コカナダモなど20数種類の水草が記録されており、水草が豊富な湖だった。1978年には増え過ぎた水草が船の航行や漁業の邪魔になるとして、水草除去の目的で5,000匹のソウギョが放流され、3年間で水草は食べ尽くされ、ホシツリモは全滅した。同時にエビやフナ類も激減した。ソウギョは野尻湖では自然繁殖しないが寿命が長く、水草の復元に対して大きな影響力を与え続けている。現在野尻湖に生息しているソウギョが放流当初の個体なのかは確認されていない。1980年代後半にオオクチバス、1990年代にブルーギルとコクチバスが確認されている。 1996年に水草を復元をしょうと長野県衛生公害研究所、野尻湖ナウマンゾウ博物館を中心に地元ボランティアが参加して活動を開始した[2]。
[編集] 学術調査
[編集] ナウマンゾウなどの発掘調査
1948年に地元住民が偶然ナウマンゾウの臼歯を発見(発見当初は、凸凹の形状から「湯たんぽの化石」言っていた)したことにより、1962年から湖底や湖畔での発掘調査が始まった(野尻湖発掘)。発掘が行われるのは、野尻湖の西岸の立が鼻という岬付近の湖底である。地名を取って「立が鼻遺跡」と呼ばれるキルサイト(狩猟した大型哺乳動物の解体場)の遺跡である。春先に発電による湖水面の低下のため湖岸が沖合に後退する時期に合わせて発掘が行われる。 発掘調査の時期は2年に一回3月に行われる。時期が限られるのは発電所の取水による減水に合わせ実施する為で、世界的にも珍しい「大衆発掘」という形態で行われている[3]。2003年の第15次の発掘までに23,799人が参加し、約81,000点の化石遺物が発見されており、出土品はすべて湖畔の野尻湖ナウマンゾウ博物館に収蔵されている。
発掘を組織しているのは、野尻湖発掘調査団(本部は野尻湖ナウマンゾウ博物館)で、民間の学術団体である。 全国23カ所に、発掘の参加者を募集し、そのための学習を行う「野尻湖友の会」という組織が作られ、老若男女誰でも友の会の会員になれば発掘に参加できる。発掘の運営は、参加者の参加費によって賄われている。
[編集] 考古遺物
この遺跡からは、珍しく人類遺物と動物遺体が同一層中から出土している。多くの小型の削片石器が主体のナイフ形石器、ナウマンゾウの象牙を加工したビーナスの骨器、ナウマンゾウやヤベオオツノシカの化石などが出土した。これらの大型哺乳動物が人類によって狩猟の対象にされた可能性が指摘されている。この外に、ニホンジカ、イノシシ、アナグマ、ノウサギなどの中・小型の哺乳動物の化石も発見されている。また、遺跡やその周辺から検出されたマツ科のチョウセンゴヨウの花粉及び植物遺体は旧石器人の植物食料源となったと推測されており、オニグルミ、ツノハシバミも出土している[4]。
その他、ナウマンゾウの足跡や貝のもぐり跡などの生痕化石と思われるものも見つかっている。また、地層中の珪藻、花粉の微化石を採取したり古地磁気を測定するためのサンプリングや火山灰の分析などを通して、年代測定や古環境の復元も行われた。これらのことから、今から約4万年前の旧石器時代に、野尻湖の周辺には人が住んでおり、大型哺乳類の狩猟をしていたとみられている。
[編集] 湖底堆積物
地球環境的な観点から、周辺で大きな工業活動がされていない為人間の活動の影響が少ないと考えられるほか、大きな流入河川が無く数万年間の気候変動と、周辺環境の変化を湖底に堆積物として残しているため多くの研究がされている。
- CiNii - 野尻湖湖底堆積物に記録された千年規模の高分解能湖水面変動史
- 野尻湖底堆積物から復元した更新世末期∼完新世前期の気候変動
- 野尻湖底表層堆積物におけるマンガン,銅,鉛,亜鉛の挙動
- 野尻湖湖底堆積物の古生態学的研究
- 野尻湖底堆積物の有機炭素・窒素含有率から見た完新世後半の気候変動
- 野尻湖地質グループ に関する なかよし論文データベース
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 立ヶ鼻遺跡野尻湖仮想博物館
- ^ 野尻湖水草復元研究会
- ^ 野尻湖長野県理化学会 地学部会 編 長野県の地学
- ^ ナウマン象に出会った 石器たち財団法人 かながわ考古学財団