車ドゥリ
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車 杜里 | ||
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名前 | ||
カタカナ | チャ・ドゥリ | |
ラテン文字 | Cha Du-Ri | |
ハングル | 차두리 | |
基本情報 | ||
国籍 | 大韓民国 | |
生年月日 | 1980年7月25日 | |
出身地 | フランクフルト・アム・マイン | |
身長 | 184cm | |
体重 | 81kg | |
血液型 | A型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | TuSコブレンツ | |
ポジション | FW, MF, DF | |
背番号 | 22 | |
利き足 | 右
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車 杜里 (チャ・ドゥリ, 차두리, 1980年7月25日 - ) は、大韓民国のサッカー選手。2007年現在はドイツブンデスリーガ2部、TuSコブレンツに所属している。
[編集] 人物
韓国サッカー史上最高の選手とも言われる車範根(チャ・ボングン)の実子。父・範根がブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトでプレーしていた1980年にドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれた。のちに父が現役を退いた1989年までドイツで過ごす。
高麗大学校に在籍していた2001年、韓国代表チームとの練習試合に出場した際、当時の代表監督フース・ヒディンクに見出され、程なくして2002 FIFAワールドカップに臨む韓国代表メンバーにアマチュア選手ながら選出された。本大会ではレギュラーメンバーではなかったものの、主にウイングのポジションで計4試合に出場し、韓国チームの大会ベスト4進出という快挙を経験した。
ワールドカップ終了後、アルミニア・ビーレフェルトとプロ選手契約。1年間プレーした後、2003年に生まれ故郷でありかつて父が所属していたアイントラハト・フランクフルトに移籍した。また2005年の2月に中田英寿、ジネディーヌ・ジダンらが参加して行われたスマトラ沖地震被災者支援チャリティーマッチでは強烈なミドルシュートも決めている。2006-07シーズンは1.FSVマインツ05でプレーしていたが出場機会に恵まれず2007年6月に2部リーグのTuSコブレンツに移籍することが決定した。
名前の「ドゥリ」とは韓国語で「ふたつ」という意味であり、韓国では本来は名前にしない変わった名前である。
[編集] プレースタイル
豊富な運動量と、「ボールより速い」と冗談交じりに評される俊足を生かした攻め上がりを持ち味とし、主に右サイドを主戦場とする。韓国代表ではウイング(またはストライカー)としての起用が多いが、クラブチームではより守備にウエイトを置いたポジションを任されている(マインツではサイドバックとして選手登録されていた)。
[編集] 経歴
- 1999年-2002年 高麗大学校
- 2002年-2003年 アルミニア・ビーレフェルト 22試合1得点
- 2003年-2006年 アイントラハト・フランクフルト 87試合12得点
- 2006年-2007年 1.FSVマインツ05 12試合0得点
- 2007年- TuSコブレンツ 14試合1得点
韓国代表 - 2002 FIFAワールドカップ | |
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1 李雲在 | 2 玄泳民 | 3 崔成勇 | 4 崔眞喆 | 5 金南一 | 6 柳想鐵 | 7 金泰映 | 8 崔兌旭 | 9 薛琦鉉 | 10 李榮杓 | 11 崔龍洙 | 12 金秉址 | 13 李乙容 | 14 李天秀 | 15 李敏成 | 16 車ドゥリ | 17 尹晶煥 | 18 黄善洪 | 19 安貞桓 | 20 洪明甫 | 21 朴智星 | 22 宋鐘國 | 23 崔殷誠 | 監督 ヒディンク |