諸葛均
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この項目には、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なる文字があります。「葛」の文字は公式の表記と異なる可能性があります。 |
[編集] 経歴
幼い時に父と生母の章氏が亡くなり、兄の諸葛亮と共に従父(叔父)の豫章郡太守・諸葛玄を頼ったという。やがて、その叔父も楊州牧の劉繇と争って戦死を遂げると、諸葛亮と共に荊州牧の劉表を頼る。以降は南陽の隆中で暮らしていたが、兄・諸葛亮が劉備の軍師になると、同時に劉備の家臣となる。その後、長水校尉にまで昇進した。
『演義』では劉備らが諸葛亮の下へ赴いた時に登場するが、諸葛亮が劉備の下へ行く時に家の留守を命じられていて兄のように劉備に仕えたとは書かれていない。
長兄の諸葛瑾(子瑜)、次兄の諸葛亮(孔明)に比べると影が薄く、彼に対するエピソードは非常に少ない。