袁遺
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袁遺(えんい、生没年不詳)は、後漢末期の政治家、学者。字は伯業。
汝南汝陽の人で、袁紹、袁術らの従兄とされる。矢野主税は袁紹の父袁成や袁術の父袁逢の兄にあたる袁平の子としているが、根拠があるわけではない。張超や朱儁に認められ山陽太守となった。袁紹らが董卓を討つため挙兵した頃、張邈らとともに参加した。
後に袁紹によって楊州刺史に任命された。しかし、楊州の支配をめぐって袁術と対立し、これと戦って敗れて逃走したが、逃亡先で部下の裏切りにあって殺された。
曹丕の『典論』によれば曹操はその人間性を高く評価し、「長大にして能く勤めて學ぶ者は、惟だ吾と袁伯業とのみ」(大人になっても、よく勤めて学んでいる者は、ただ私(曹操)と袁伯業(袁遺)だけだ。)と讃えていたという。