蜂須賀宗員
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蜂須賀 宗員(はちすか むねかず、宝永6年1月1日(1709年2月10日) - 享保20年6月7日(1735年7月26日))は、阿波徳島藩の第6代藩主。初名は正員。通称は隠岐。実父は徳島藩5代藩主蜂須賀綱矩(四男)。養父は蜂須賀隆長。実母は安西氏。官位は、従四位下侍従、淡路守。
当初、徳島藩の世子は兄蜂須賀吉武であったため、阿波富田藩主蜂須賀隆長の養子になった。1714年11月16日、養父隆長の死去により、阿波富田藩3代藩主となる。富田藩主であったときは蜂須賀正員と名乗った。1718年2月15日、将軍徳川吉宗に御目見した。1722年12月18日、従五位下隠岐守に叙任する。後に淡路守に改めた。
1725年7月4日、実兄吉武が亡くなったため、宗家に戻って世子となる。このため、阿波富田藩は所領を徳島藩に返納して廃藩となった。同年12月7日、従四位下に昇進し、将軍徳川吉宗の偏諱を受けて蜂須賀宗員と改名した。後に侍従に任官した。1728年1月23日、徳島藩6代藩主となる。1735年6月7日、死去。享年28。
正室は美作津山藩主松平宣富の娘。次男重矩(蜂須賀隆寿養子。後に蜂須賀宗鎮養子)らニ男一女あり。その他に養子宗英(実父蜂須賀隆喜)あり。
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