藤本博史 (内野手)
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藤本 博史 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府泉北郡忠岡町 |
生年月日 | 1963年11月8日(44歳) |
身長 体重 |
184cm 98kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト4位 |
初出場 | 1985年4月14日 |
経歴 | |
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藤本 博史(ふじもと ひろし、1963年11月8日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは内野手。大阪府泉北郡忠岡町出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
天理高校から1982年に南海ホークスに入団し、1998年シーズン途中にオリックス・ブルーウェーブへ移籍、同年限りで引退。南海・ダイエー時代の背番号は39→5。オリックス時代は1。現在はTVQ九州放送、J SPORTS解説者、西日本スポーツ野球評論家。
長年ホークスの中心打者としてレギュラー出場していた。打順は初め、7、8番が多かったが、1992年からは3、5、6番を打つようになった。体格が良く、門田博光以来長距離打者が育たず得点力の弱かったホークスでは毎年長打を期待された。しかし、パワーヒッターでありながら、年間最多本塁打は1992年の20本と、どちらかというと中距離打者であった。非常に右打ちの上手い選手として知られていたものの、長打を狙っての大振りが目立ち、打率も伸び悩んだ。三塁の守備にはやや難があったものの、強力なライバルがおらずレギュラーが安泰であり、競争がなかったという点で、ホークスが万年Bクラスに甘んじていた時代のぬるま湯体質を象徴する選手として見られることもあった。
好打好守の三塁手である松永浩美が阪神タイガースから加入した1994年にはレギュラーの座を追われた。当初は控えの座に甘んじていたが、藤本の打撃技術を高く買ってきた当時の大田卓司打撃コーチの進言により二塁で起用され守備面でもそれなりの奮闘を見せ、ブライアン・トラックスラーとの一・二塁間はこの年の名物となった。さらに石毛宏典が西武ライオンズから加入した1995年もレギュラー落ちの危機にあったが、またも大田打撃コーチの進言により西武との開幕戦(西武球場)は石毛に代わって一塁スタメンで起用され、9回表に潮崎哲也から豪快な本塁打を放っている。
後に、右打ちの達人として知られた大道典嘉は、現役時代の藤本のバッティングを参考に自身のスタイルを築き上げた。
1998年オフにオリックスで引退後は慣れ親しんだ福岡に戻り、1999年からTVQ野球解説者に転身。ホークス選手のことを熟知しており、現役時代のエピソードを交えた解説もあってホークスファンの人気を博している。この年は福岡移転後初優勝の快挙を成し遂げ、解説席から王貞治監督の胴上げを見ていた藤本は「輪の中に入りたい」と語っていた。
「ここまで飛ばせ、ホームラン」のヒッティング・マーチはホークスファンの間では非常に有名で、藤本引退後も左の好打者であった若井基安のテーマと並びチャンスの際にしばしば使用されている。
福岡市中央区で、居酒屋「藤もと亭」を経営しており、福岡出身の芸能人やホークス選手も多く訪れる。現役時代の彼のイメージを象徴する口髭と恰幅のよさは2007年現在でも健在。
プロ野球選手でも珍しい柔道の有段者でもある。他には広澤克実(現・阪神一軍コーチ)が柔道の有段者。
[編集] 年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
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1982年 | 南海 ダイエー |
39 | 1軍出場なし | ||||||||||||||
1983年 | 1軍出場なし | ||||||||||||||||
1984年 | 1軍出場なし | ||||||||||||||||
1985年 | 8 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | .111 | ||
1986年 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
1987年 | 26 | 41 | 2 | 10 | 6 | 0 | 0 | 16 | 3 | 0 | 1 | 0 | 6 | 8 | .244 | ||
1988年 | 108 | 278 | 27 | 56 | 9 | 0 | 7 | 86 | 28 | 1 | 9 | 1 | 41 | 71 | .201 | ||
1989年 | 77 | 237 | 30 | 60 | 12 | 0 | 13 | 111 | 50 | 1 | 10 | 0 | 37 | 62 | .253 | ||
1990年 | 5 | 112 | 332 | 26 | 70 | 16 | 3 | 12 | 128 | 61 | 2 | 15 | 1 | 40 | 84 | .211 | |
1991年 | 101 | 256 | 29 | 68 | 13 | 1 | 11 | 116 | 30 | 1 | 1 | 0 | 42 | 46 | .266 | ||
1992年 | 130 | 368 | 48 | 93 | 15 | 2 | 20 | 172 | 56 | 2 | 8 | 2 | 76 | 89 | .253(28) | ||
1993年 | 129 | 456 | 44 | 109 | 16 | 3 | 13 | 170 | 53 | 1 | 2 | 0 | 54 | 87 | .239(29) | ||
1994年 | 121 | 333 | 30 | 81 | 15 | 0 | 11 | 129 | 52 | 2 | 1 | 3 | 61 | 72 | .243 | ||
1995年 | 119 | 383 | 36 | 101 | 17 | 1 | 11 | 153 | 58 | 0 | 2 | 3 | 68 | 88 | .264(15) | ||
1996年 | 101 | 266 | 24 | 56 | 11 | 0 | 6 | 85 | 23 | 0 | 3 | 3 | 37 | 63 | .211 | ||
1997年 | 28 | 31 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 7 | .065 | ||
1998年 | オリックス | 1 | 42 | 46 | 3 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 17 | .174 |
通算成績 | 1103 | 3039 | 302 | 715 | 132 | 10 | 105 | 1182 | 419 | 10 | 55 | 13 | 475 | 697 | .235 |
[編集] 記録
- サイクルヒット (1990年7月7日)
[編集] エピソード
- ホークスがダイエーに売却され、福岡に移転された直後から藤本はヒゲをはやした。このヒゲが藤本のトレードマークであったが、これは当時彼の祖父が目を悪くしテレビ中継を見ても誰だか分からない状態だったため、チーム内にヒゲをはやした選手がいなかったことからすぐに見つけやすいようにという配慮から始まったものである。
- 1998年4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦に出場したが、オリックスへ移籍した直後の試合であったため、ユニフォーム作成が間に合わず、過去オリックスに在籍したタイゲイニー選手のユニフォームを着用していた。
[編集] 現在の出演番組
[編集] 関連項目
南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス) 1981年ドラフト指名選手 |
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1位:金城信夫 / 2位:赤星鉄治 / 3位:矢野実 / 4位:藤本博史 / 5位:岡本光 / 6位:川本和宏 |