藤原継業
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藤原 継業(ふじわら の つぐなり、宝亀10年(779年) - 承和9年(842年)7月5日)は、平安時代初期の公卿。藤原式家出身。藤原宇合の孫。藤原百川の3男。名は嗣業とも表記する。兄弟姉妹に藤原緒嗣・藤原旅子(桓武天皇夫人・淳和天皇母)らがいる。
父の百川は光仁天皇・桓武天皇擁立の功臣であり、その子である継業らも(特に桓武天皇に)信任されて重用された。延暦19年(800年)内舎人より侍従に抜擢される。以後、累進して、大同元年(806年)4月に兄藤原緒嗣とともに、桓武天皇より賜った200戸の封戸返上を願い出たが、天皇は特に賞与したものであるとしてこれを許さなかった。その後の昇進も順調だったが、弘仁元年(810年)伊予権守に任ぜられたのを最後に、朝廷に出仕しなかった。官を離れた理由は不明。承和9年(842年)、散位従三位で自宅で薨した。享年64歳だった。薨伝に「射を好み、かつ琴歌を善くした」とある(『続日本後紀』承和9年7月5日条)。