荒木大輔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒木 大輔 東京ヤクルトスワローズ No.72 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都調布市 |
生年月日 | 1964年5月6日(44歳) |
身長 体重 |
179cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1982年 1位 |
初出場 | 1983年4月26日 広島戦(神宮) |
最終出場 | 1996年10月9日 ヤクルト戦(神宮) |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
荒木 大輔(あらき だいすけ、1964年5月6日 - )は、元プロ野球選手(投手)。東京都調布市出身。夫人は元女優・モデルの相田寿美緒。
目次 |
[編集] 来歴・人物
調布リトルリーグ所属時代に世界リトルリーグ野球選手権大会優勝。調布リトルの1期下には武田一浩がいた。
1980年に早稲田実業学校に進学。同級生には、小沢章一、石井丈裕、松本達夫らがいた。同年夏、予選の東東京大会で故障のエース・芳賀に代わり好投し夏の甲子園に出場。本戦でも好投を続け決勝進出を果たすも、愛甲猛を擁する横浜高校に4-6で敗れ優勝を逃す。
1年生とは思えない力投と、端正な顔つきが相まって女性ファンから絶大な支持を集め、試合後バスを女性ファンが取り囲むのは名物となった。この大会より早実高は荒木を不動のエースに据え春夏5季連続で甲子園に出場。「大ちゃんフィーバー」は社会現象となり、新生児の名前に「大輔」が流行した。1980年9月に生まれた松坂大輔の母親も荒木の大ファンで「大輔」と命名したとされる。
3年生最後となった1982年の夏の甲子園では準々決勝で畠山準、水野雄仁らを擁する池田高校戦で2-14で敗退。荒木-石井-荒木の継投であった。この早実と決勝での広島商業の大敗は、高校野球において金属バットによる"パワー野球"を根付かせ、以後のPL学園の清原和博ら大物打ちの登場を待つことになる。なお、学年を増すごとに甲子園での成績が降下したことについて、荒木は「1年時には力がなかったため打者の手元で伸びずにナチュラルに沈んだ球が、3年時にはそのまま伸びて打者にとって打ち頃になった」と分析している。
同年秋のドラフト会議でヤクルトスワローズに1位指名され入団(読売ジャイアンツも荒木を指名したが、ヤクルトに敗れ再指名で荒木と同い年の斎藤雅樹を獲得)。背番号は11。4年目の1986年に先発ローテーション入りし、翌1987年には10勝をあげる。
ヤクルト入団後も絶大な人気があり、荒木を囲むファンの混乱を避けるため、神宮球場のクラブハウスと球場を結ぶ地下道が作られた。これは「荒木トンネル」と呼ばれ、今もヤクルトの選手が球場に向かうときに使用することがある。
1988年シーズン中盤にヒジ痛を発症。渡米し同年8月27日にフランク・ジョーブ博士執刀の手術を受ける。1989年に再手術、さらに1991年には椎間板ヘルニアの手術も受け、丸4年を費やし1992年9月24日に1541日ぶりの1軍登板を果たす。この荒木のカムバックが、阪神タイガースとの過酷な優勝争いを繰り広げていたチームに団結力を与え、見事14年ぶりの優勝を遂げた。
翌1993年は規定投球回には届かなかったものの101回を投げ防御率は3.92、8勝(4敗)を挙げ、2年連続のリーグ優勝に貢献、1993年の日本シリーズでも初戦で先発して勝利投手となり日本一に貢献した。桑田真澄と並んで、整ったフォームでコントロール良く投げ込む正統派投手と評価された。
1995年は1軍登板が無くチーム構想から外れ、オフに横浜ベイスターズへ無償トレード。早実・ヤクルト時代の大先輩である大矢明彦新監督に拾われた形となったが、結果を残すことができなかった。5勝可能な先発投手だが10敗の覚悟が必要と称されて1996年限りで引退。
引退後はテレビ朝日・日刊スポーツ野球解説者。メジャーリーグ・クリーブランド・インディアンズ2Aのアクロン・エアロズへコーチ留学し、帰国後はNHK・日刊スポーツ野球解説者。2004年より西武ライオンズ投手コーチを4年間務めた。
2007年成績不振を持って伊東勤監督と共に投手コーチを辞任、その後古巣・東京ヤクルトスワローズへ投手コーチとして復帰した。
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 背番 号 |
登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球 回 |
被安 打 |
被本 塁打 |
与四球 | 与死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983年 | ヤクルト | 11 | 15 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.00 | 28.2 | 32 | 4 | 19 | 1 | 14 | 20 | 19 | 5.97 |
1984年 | 22 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0.00 | 52.2 | 64 | 14 | 22 | 4 | 27 | 43 | 42 | 7.18 | ||
1985年 | 19 | 4 | 1 | 6 | 7 | 0 | .462 | 108.2 | 104 | 18 | 35 | 5 | 47 | 57 | 52 | 4.31 | ||
1986年 | 32 | 6 | 1 | 8 | 13 | 2 | .381 | 157.2 | 176 | 16 | 41 | 2 | 83 | 89 | 80 | 4.57 | ||
1987年 | 31 | 5 | 0 | 10 | 9 | 0 | .526 | 151.0 | 168 | 29 | 32 | 4 | 72 | 90 | 85 | 5.07 | ||
1988年 | 12 | 3 | 0 | 3 | 3 | 0 | .500 | 55.2 | 50 | 13 | 9 | 2 | 21 | 31 | 27 | 4.37 | ||
1989年 | 1軍登板なし | |||||||||||||||||
1990年 | ||||||||||||||||||
1991年 | ||||||||||||||||||
1992年 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.00 | 13.0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 9 | 1 | 1 | 0.69 | ||
1993年 | 21 | 2 | 1 | 8 | 4 | 0 | .667 | 101.0 | 114 | 20 | 22 | 2 | 56 | 44 | 44 | 3.92 | ||
1994年 | 19 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | .143 | 74.1 | 87 | 11 | 16 | 1 | 24 | 43 | 42 | 5.09 | ||
1995年 | 1軍登板なし | |||||||||||||||||
1996年 | 横浜 | 47 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0.00 | 12.2 | 15 | 5 | 4 | 0 | 6 | 11 | 11 | 7.82 |
通算 | 180 | 21 | 3 | 39 | 49 | 2 | .443 | 755.1 | 818 | 130 | 204 | 21 | 359 | 429 | 403 | 4.80 |
- 太字はリーグ最高記録。
- 初登板 1983年4月26日広島戦(神宮)0-7 8回から4番手登板、2回2失点
- 初勝利 1983年5月19日阪神戦(神宮)2-1 先発し5回無失点
- 初完投 1985年8月9日巨人戦(後楽園)4-3 被安打8 奪三振5 四死球2
- 初完封 1985年9月26日巨人戦(後楽園)4-0 被安打3 奪三振5 四死球5
- 初セーブ 1986年5月21日阪神戦(甲子園)5-4 8回から3番手登板、2回無失点
[編集] 背番号
[編集] 歌
[編集] 関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 横浜ベイスターズの選手一覧
- 和田明 - 早稲田実業在学時の野球部監督
- 武田一浩 - 調布リトルで1期後輩
監督 |
---|
88高田繁 |
コーチ |
80小川淳司(ヘッド)|77八重樫幸雄(打撃)|73大田卓司(打撃)|72荒木大輔(投手)|84伊藤智仁(投手)|83馬場敏史(内野守備走塁)|85飯田哲也(外野守備走塁)|71中西親志(バッテリー)|81長田孝幸(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
89猿渡寛茂(監督)|99山部太(投手兼トレーニング)|74八木沢荘六(投手)|75土橋勝征(打撃)|79淡口憲治(打撃)|76角富士夫(内野守備走塁)|82佐藤真一(外野守備走塁)|97高橋寛(育成)|92中村達昭(コンディショニング) |
投手 |
11由規|12林昌勇|13佐藤賢|14高市俊|15村中恭兵|16加藤幹典|17川島亮|19石川雅規|20鎌田祐哉|21松岡健一|22増渕竜義|24花田真人|25館山昌平|26岡本秀寛|30西崎聡|34リオス|35橋本義隆|41高井雄平|42木田優夫|44松井光介|47遠藤政隆|48萩原淳|52伊藤秀範|53五十嵐亮太|57丸山貴史|58高木啓充|61石井弘寿|62吉川昌宏|63山本斉|65押本健彦|66山田弘喜|68上原厚治郎|70河端龍|78ゴンザレス |
捕手 |
28川本良平|32小野公誠|37福川将和|38衣川篤史|51米野智人|59水野祐希|112小山田貴雄(育成選手) |
内野手 |
00川島慶三|2リグス|4度会博文|6宮本慎也|7田中浩康|10城石憲之|33畠山和洋|36川端慎吾|39梶本勇介|40大原秉秀|45ウィルソン|46鬼崎裕司|55野口祥順|60三輪正義|67大塚淳 |
外野手 |
0志田宗大|5ガイエル|8武内晋一|9飯原誉士|23青木宣親|29福地寿樹|31真中満|43宮出隆自|49松元ユウイチ|50上田剛史|54斉藤宜之|56中尾敏浩|64牧谷宇佐美 |
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1982年ドラフト指名選手 |
---|
1位:荒木大輔 / 2位:新谷博 / 3位:阿井英二郎 / 4位:広瀬哲朗 / 5位:上地和彦 / 6位:西沢浩一 |