花園家
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花園家(はなぞのけ)は、日本の氏族(公家)。藤原北家公季流(閑院流)正親町三条家の支流。内大臣正親町三条公兄の孫の右近権中将花園公久を始祖として江戸時代初期に創立された比較的新しい家。家格は羽林家。家紋は三条花角。江戸時代の家禄は150石。
家祖の花園公久(1591年-1635年)は、正親町三条公兄の孫で、正親町三条実教(三条家の養子になったが早世した)の子である。2代目当主花園実満は参議で終わったが、3代目当主の花園公晴は正二位権中納言まで昇進している。4代目当主の権大納言花園実廉は音楽家としても業績があり、京極宮家仁親王から琵琶伝授を受けている。明和2年(1765年)に6代左近衛権少将花園公純(三条西公福の子)が没し、明和7年(1770年)に公純の養嗣子である7代花園季文(姉小路公文の子)]がわずか9歳で没したため、同年のうちに正親町三条公積の子実章が4歳で花園家8代目当主として相続した。実章は長じて琵琶の大家となり、官位も従三位左近衛権中将まで進んだ。明治17年に13代花園公季(きんとし)が子爵になった。