舩山信一
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舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1994年3月16日)は日本の哲学者。立命館大学名誉教授。マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した。船山信一とも書かれる。
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[編集] 略歴
山形県吉島村(現川西町)生まれ。1930年、京都大学卒。西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。マルクス主義者であることから、学派的には三木清、戸坂潤らとともにいわゆる西田左派に属する。1932年、戦前の著名なマルクス主義団体である唯物論研究会を戸坂潤らと結成。1933年、日本プロレタリア科学同盟に参加。1934年、治安維持法違反で逮捕・起訴される。
戦後は、1946年に河北新報論説委員。1955年、立命館大学教授、1976年、名誉教授。
弟は元北海道教育大学学長の舩山謙次。舩山謙次の長女の夫は拓植大学教授の藤岡信勝。
[編集] 主な著書
- 『昭和唯物論史』(福村出版、1968年)
- 『人間学的唯物論の立場と体系』(未来社、1971年)
- 『ひとすじの道―唯物論哲学者の自分史』(三一書房、1994年)
[編集] 主な訳書
- フォイエルバッハ『唯心論と唯物論』(岩波文庫、1955年)