胡班
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胡班(こはん、生没年不詳)は、後漢末期に曹操・劉備に仕えた武将。字は不明。 桓帝の時に議朗だった胡華の子。
初めは滎陽太守王植の従事をつとめていた。 関羽の千里行の時、東嶺関の守将孔秀と洛陽の孟坦、韓福、沂水関の卞喜を斬り、関所破りを続ける関羽に対して、王植は計略をもって関羽を暗殺することを決意、胡班に関羽のいる館の焼き討ちを命じる。
しかし、様子を探っていた胡班は関羽に見つかってしまう。しかし胡班の名を聞いた関羽は、「道中君の父上から懇ろなもてなしを受けた」と言って胡華から預かった手紙を見せる。 それを見た胡班はひれ伏し、この館を焼き討ちする手筈になっていることを関羽に密告。それを聞いた関羽は、警備の薄い裏門から脱出して王植の本陣へ近づき、王植の首を斬る。
胡班は、城から出て追おうとする素振りを見せ、姿が見えないことを確認するとすぐに城に戻った。 その後、関羽を頼り荊州に住まい、側近として関羽麾下に加わった。 劉備が漢中王となった時、関羽に爵位の沙汰をしてきたため、使者である費詩とともに関羽の代理として爵位を受け、 自身も牙門将に任ぜられる。(この時、呉班と誤記されている。) これ以降、胡班の活躍はほぼ途絶えている。