聖祝女王
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聖祝女王(せいしゅくじょおう、宝永6年6月13日(1709年7月19日) - 享保6年4月16日(1721年5月15日))は、江戸時代中期の皇族・尼。東山天皇の第4皇女で、母は掌侍菅原氏(高辻長豊)女。幼名を高宮といった。中御門天皇・閑院宮直仁親王らの異母姉妹。
宝永7年(1710年)12月曇華院聖安女王(後西天皇皇女)の付弟となり、正徳3年(1713年)12月曇華院に入寺し、同5年(1715年)12月に喝食となった。享保3年(1718年)2月に得度し、法名を聖祝、道号を崇峯とした。その後病気になり、享保5年(1720年)6月には快癒するが、翌年の享保6年(1721年)4月に再発して13歳で没した。墓は京都大徳寺中養徳院内曇華院宮墓地にある。
[編集] 参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。