聖ポール天主堂跡
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サン・パウロ(聖ポール)天主堂跡(繁体字: 聖保祿大教堂;"大三巴"として広く知られている、ポルトガル語: Ruínas de São Paulo)は、イエスの使徒である聖パウロに捧げられた、マカオにあるポルトガルの17世紀の大聖堂である。今日、その遺跡は、マカオの最も有名な歴史的建築物の一つである。2005年、聖パウロ天主堂跡は、公式にユネスコの世界遺産「マカオ歴史地区」の一部として登録された。
1582年から1602年にイエズス会士によって建築されたこの天主堂は、当時、アジアで最大のカトリック教会であった。それで、ヨーロッパの王族は、互いに競ってこの天主堂に寄進を行った。しかし、珠江デルタの主要港の地位を香港に取って代わられ、マカオの重要性が低下すると、この天主堂の運命も同じく傾き、1835年の台風時の火事によって焼失した。モンテの砦(大砲台)が、この遺跡を見下ろしている。
この遺跡は、今、南側の石造りのファサード(イタリア人のイエズス会士カルロ・スピノラのもとで、本国から追放された日本人キリスト教徒と現地の職人によって、1620年から1627年の間に複雑に彫刻された。)と、この天主堂を創設し、維持したイエズス会士の地下納骨堂からなっている。ファサードは小さな丘の上にあり、そこへ66段の石段が続いている。ファサードの彫刻は、七つ頭のヒドラを踏みつける女性が、漢字で「龍の頭を踏みつける聖母」と描写されているように、東洋的な主題についてのイエズス会のイメージを含んでいる。他の彫刻としては、イエズス会の設立者たち、イエスによる死神退治、そして最上段には羽を広げた鳩などがある。
危うく傾いている構造物が破壊されるとうい声に抗して、マカオ文化局のもとで歴史的経過を研究するために、1990年から1995年にかけて遺跡が発掘された。地下納骨堂と基礎が掘り出され、建物の建築計画が明らかになった。日本人キリスト教徒の受難者や、イエズス会の神学校コレジオのマカオでの設立者アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父を含む修道僧の遺骨とともに、数多くの宗教遺物も一緒に発見された。これらの遺跡は、マカオ政府によって復元され博物館となり、そしてファサードは、今、ファサードの美しいもとのままの状態を残すような方法で、コンクリートと鋼鉄で支えられている。鋼鉄製の階段で、旅行者は、背面からファサードの上段まで登ることができる。幸運のために、階段から遺跡の上段の窓に硬貨を投げることが習慣となっている。