織田信存
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織田信存(おだ のぶあり、? - 弘化3年閏5月2日(1846年6月25日))は江戸時代の旗本。丹波柏原藩主織田信憑の次男。養父は高家旗本織田信味。初名は長存。通称は哲之助、謙之助。
文化8年(1811年)閏2月15日、将軍徳川家斉に御目見する。文政6年(1823年)12月10日、養父・信味の隠居により、家督を相続する。高家に就任することなく、俗に言う表高家として過ごした。天保11年(1840年)3月29日に隠居し、長男信愛に家督を譲る。弘化3年(1846年)閏5月2日死去。
子女に長男信愛、房之助、時之助、長女通実(丹波柏原藩主織田信守の養女。松平健吉妻)、養女九磨(織田信守の四女。井上帯刀妻)らあり。息子房之助は、分家の旗本織田家(300石)に養子入し、彰義隊の敗北に際し、切腹したようである。
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