程秉
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程秉(ていへい、172年?-225年?)は、三国時代の呉の武将。字は徳枢。
汝南郡南頓の人。鄭玄に師事して学問を学び、五経に通じていた。呉の君主の座を継いだ孫権から招聘されてその幕僚となり、太子・孫登の教育係などを任されている。「論語弼」などの著作を残した。
なお、坂口和澄「正史三国志群雄銘銘伝」によると、正史三国志に伝のある人物で自分の伝以外に全く登場しない唯一の人物だという。
三国志演義では諸葛亮との論戦であっけなく敗れた上、劉備が関羽の仇討ちのために呉に攻め込んできたとき、張飛を暗殺した張達らの身柄を劉備に差し出すことで和睦を図ろうとしたが、劉備の怒りは収まらず申し入れを一蹴され、程秉は命からがら呉に逃げ帰ったと記されている。いわば呉の官僚のような立場で描かれている。