疋田駅
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疋田駅(ひきだえき)は、かつて福井県敦賀市疋田に存在した日本国有鉄道(国鉄)北陸本線(晩年は柳ヶ瀬線)の駅である。
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[編集] 概要
北陸本線が長浜から金ヶ崎(現在の敦賀港駅)まで延伸した時に設置された。1957年に本線が路線変更になったため支線の駅となった。駅の北側に新旧合流地点があり、本線との振り分けはそれより更に敦賀よりに新設された鳩原信号場で制御された。その後、1963年に衣掛隧道ループ線が本線上り用として開通すると、敦賀~新旧合流地点までは本線下り線用となり、柳ヶ瀬線として共用していた敦賀~疋田間は休止扱いとされ、バス転換となった。そして、翌年5月には柳ヶ瀬線そのものが全線廃線となった。
新疋田駅はこの駅より700m離れた山間部に位置し、当初は併存していたこともあり代替駅とは見なされない。疋田~新疋田間の連絡バスもなかった。乗客の流れも新疋田駅には向かわず、敦賀~疋田間代替バスの需要が主だった。
[編集] 駅構造
北陸本線時代は相対式ホーム2面3線であった。柳ヶ瀬線時代には交換設備は撤去され、単式ホーム1面1線となっていた。
[編集] 歴史
- 1882年(明治15年)3月10日 - 国有鉄道の駅(一般駅)として開業。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、北陸本線所属駅となる。
- 1957年(昭和32年)10月1日 - 木ノ本~敦賀間の現行線開通に伴い、柳ヶ瀬線に所属線を変更。同時に貨物・荷物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
- 1963年(昭和38年)10月1日 - 疋田~敦賀間休止、バス転換。
- 1964年(昭和39年)5月11日 - 柳ヶ瀬線廃止に伴い廃止。
[編集] 隣の駅
[編集] 駅跡地
疋田駅~雁が谷駅路盤は国鉄バス専用道路に転用されたが北陸道建設時に明け渡した。上り線ホームは支線移行時に更地に、生き残った下り線ホームには愛発幼稚園が建っている。麻生~疋田間では旧柳ヶ瀬線と旧国道8号がところどころで交錯していたが大半は谷間の両側に位置していて現在の国道8号とはほとんど一致しない。今では農道もしくは川沿いの茂みと化している。旧麻生トンネルは切り通し化された。更新の遅れか、国土地理院の地図でも旧線が廃止になるまで新線は記載されなかった。
国道8号と国道161号が合流する疋田交差点(通称:疋田信号)は現在、三叉路であるが、当時161号線は疋田駅裏手の路地を迂回して駅の海側から8号線に合流していた。三叉路8号線脇にある小さな橋を旧柳ヶ瀬線の橋と勘違いする人が多いが、これは拡幅される前の旧8号線の橋である。旧柳ヶ瀬線の橋はそれより少し川の上流に掛けられていた。川の中に橋脚の一部が残存している。
柳ヶ瀬線(旧北陸本線・廃線) |
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木ノ本 - 中ノ郷 - 柳ヶ瀬 - 雁ヶ谷 - 刀根 - 疋田 - (鳩原信号場) - 敦賀 |