田中一光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 田中 一光(たなか いっこう)- 日本を代表するグラフィックデザイナー。本稿ではこれを記述。
- 田中 一光(たなか いっこう、1965年10月8日 - )は、楽器奏者(ドラマー)。愛知県名古屋市出身。B'z、氷室京介などのバックバンドを務めた。所属事務所
田中 一光(たなか いっこう、本名:たなか かずあき、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、奈良県奈良市出身のグラフィックデザイナー。
昭和期を代表するグラフィックデザイナーとして活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。作風は琳派に大きな影響を受けている。
目次 |
[編集] 来歴
- 1950年 - 京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)卒業後鐘淵紡績入社
- 1952年 - 産経新聞社入社 桑沢デザイン塾講師
- 1953年 - 日宣美会員となる
- 1957年 - 株式会社ライトパブリシティ入社
- 1959年 - 日宣美展会員賞
- 1960年 - 日本デザインセンター創立に参加 東京ADC金賞
- 1963年 - 独立し田中一光デザイン室主宰
- 1967年 - AGI国際グラフィック連盟会員となる
- 1968年 - 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計責任者に任命される
- 1975年 - 西武流通グループ(セゾングループ)のクリエイティブディレクターに就任
- 1980年 - 芸術選奨文部大臣賞新人賞、西武の無印良品のアートディレクターに就任
- 1986年 - 銀座セゾン劇場のアートディレクターに就任
- 1986年 - ニューヨークADC金賞
- 1991年 - 日本文化デザイン大賞
- 1994年 - ニューヨークADC殿堂入り、紫綬褒章授章
- 1998年 - 東京ADCグランプリ、1997年度朝日賞
- 2000年 - 文化功労者表彰
[編集] 主な受賞歴
- ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞
- 毎日デザイン賞
- ニューヨークADC金賞
- 東京ADC会員最高賞
- 毎日芸術賞
- TDC会員金賞
- 第一回亀倉賞
- 織部賞
[編集] 主な仕事
- 産経観世能(1954年 - 1983?年)
- タバコ「ロングピース」・パッケージデザイン(1964年)
- 夏期オリンピック:東京大会・入賞メダル、施設シンボルデザイン(1964年)
- 冬季オリンピック:札幌大会・入賞メダル、参加招待状デザイン(1970年)
- 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計(1968年 - 1970年)
- 西武美術館・アートディレクション(1975年 - 1986年)
- なんばCITY・プロデュース(1978年)
- イッセイ・ミヤケ・ブランドマーク(1979年)
- ジャパン・スタイル展(1980年)
- 無印良品・トータルデザイン(1980年)
- IBC岩手放送・CI(1984年)
- 国際科学技術博覧会(つくば万博)・シンボルマーク(1985年)
- ギンザグラフィックギャラリー・シンボルマーク(1986年)
- ロフト・シンボルマーク(1987年)
- 田中一光 デザインのクロスロード展(1987年)
- 海遊館・シンボルロゴ(1989年)
- ホテル・イル・パラッツィオ ビジュアル・トータルデザイン(1989年)
- ギャラリー・間(1990年)
- 大阪大学 校章デザイン(1991年)
- 「東京フロンティア」国際シンボルマーク コンペ第一位(1992年)
- 新東京国際空港第二旅客ターミナルビル・壁画デザイン(1992年)
- STOP AIDS(1993年)
- ベニス・ビエンナーレ日本館(1995年)
- 写楽二百年(1995年)
- 三宅一生展(1990年・1992年・2000年)
- サルヴァトーレ・フェラガモ展・グラフィックデザイン(1998年)
- 日本の選択:毎日新聞社(1973年)
- レストラン・マッカリーナ:北海道真狩村(1997年)
- 奈良テレビ放送・CI(不明)
[編集] 著書
- 『デザインの周辺』
- 『デザインの仕事机から』
- 『デザインの前後左右』
- 『田中一光自伝 われらデザインの時代』(白水社)