牛若丸あきべぇ
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牛若丸あきべぇ(うしわかまる あきべぇ、1985年7月10日 - )は協栄ボクシングジム所属のウェルター級のプロボクサーである。本名・渡部信宣(わたなべ あきのり)。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。目標のボクサーとして鬼塚勝也を挙げている。2007年5月に協栄ジムに移籍した大迫亮は高校の2年後輩。
[編集] 経歴
ボクシングの名門校である埼玉県の花咲徳栄高等学校ボクシング部出身。インターハイ準優勝の実績があり、アマ戦績は20戦15勝(6RSC)5敗。
高校在学中に協栄ジムに入門し、卒業直前の2004年2月16日に本名の渡部信宣でプロデビュー。デビュー戦を4R判定勝ちで飾る。2005年12月18日、全日本ウェルター級新人王となり、MVPに選ばれる。
2006年3月下旬にはPFP最強といわれるフロイド・メイウェザー・ジュニアの依頼を受けスパーリングパートナーとして渡米した。スパーリング後、フロイド・メイウェザー・ジュニアに「俺は世界一強い男なんだから、一発も当たらなくてもくよくよすんなよ」と慰められたが、早い時期に世界を体で知った大器と期待される。
「江戸乃牛若丸」のニックネームでジムメイトの亀田興毅や亀田大毅の前座を務め、2006年6月に正式に亀田史郎に弟子入り。リングネームを「牛若丸あきべぇ」に改名した。
2006年11月20日、インドネシア・ウェルター級2位のシャムスル・ヒダヤットを1回TKOで破り、日本ウェルター級1位にランクアップした。2007年4月に日本タイトルに初挑戦する予定であったが、挑戦権があるにも関わらず対戦を回避した。
2006年9月27日金燦鐘(キム・チャンジョン)との試合において、キムがレフェリーの指示を勘違いし、コーナーの方向に背を向けて歩いていたので、後頭部を殴りKOするという珍しい展開があった。
2007年6月に、亀田一家から“卒業”し、外国人ボクサーとの強豪対決路線を選択、9月17日にWBA世界11位のファルカド・バキロフと対戦。8回TKO勝ちをおさめ、浜田剛史が従来持っていた日本人選手の連続KO勝ち記録(15連続KO)と並ぶタイ記録を達成するが、後にバキロフは練習時間が2週間しか貰えなかった事を明かした。
2007年12月6日に日本ウエルター級タイトルマッチを湯場忠志と後楽園ホールで行い、1R湯場からダウンを奪うもすぐに2度倒し返され、1R1分30秒KO負け。日本タイトル初挑戦は失敗に終わった。
2008年4月21日、日本ウエルター級5位の上石剛を相手に再起戦を行うが、1R2分41秒TKO負けで再起に失敗。
[編集] 戦績
- 第1戦 2004年2月16日 大川泰弘(オークラ) ○4R判定
- 第2戦 2004年10月18日 田辺修輔(ジャパンスポーツ) ○1RKO
- 第3戦 2005年6月14日 飯塚ひろき(高崎) ○1RTKO
- 第4戦 2005年8月5日 神宮寺一朝(ワタナベ) ○1RKO
- 第5戦 2005年9月27日 前川洋昭(帝拳) ○2RKO
- 第6戦 2005年12月18日 細川貴之(六島) ○2RKO
- 第7戦 2006年3月8日 西川和孝(中外) ○2RTKO
- 第8戦 2006年5月5日 ルイス・オカモト(相模原ヨネクラ) ○8RKO
- 第9戦 2006年8月2日 千然宇(韓国) ○1RKO
- 第10戦 2006年9月27日 金燦鐘(韓国) ○1RKO
- 第11戦 2006年11月20日 シャムスル・ヒダヤット(インドネシア) ○1RTKO
- 第12戦 2007年2月23日 ジョコー・トゥンガル(インドネシア) ○1RKO
- 第13戦 2007年3月24日 マルコ・トゥフムリー(インドネシア) ○1RKO
- 第14戦 2007年4月30日 ダルシム・ナンガラ(インドネシア) ○4RKO
- 第15戦 2007年5月23日 ジャック・マカン(インドネシア) ○2RKO
- 第16戦 2007年9月17日 ファルカド・バキロフ(ウズベキスタン) ○8RTKO
- 第17戦 2007年12月6日 湯場忠志(都城レオスポーツ) ●1RKO ※日本ウェルター級タイトル挑戦・失敗
- 第18戦 2008年4月21日 上石剛(コーエイ小田原) ●1RTKO ※再起戦・失敗
プロ戦績18戦16勝(15KO(15連続))2敗