渋谷浩康
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渋谷 浩康(しぶや ひろやす、1969年4月13日 - )は円谷プロダクション所属のプロデューサー。神奈川県出身。
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[編集] プロフィール
大学卒業後、1992年に円谷プロに入社。同年の映画『勝利者たち』の制作進行からスタート。
1996年の『ウルトラマンゼアス』でウルトラシリーズ参加。『ウルトラマンティガ』以降から平成ウルトラマンシリーズで自分自身の古馴染みの毎日放送のプロデューサー・竹田菁滋と共にサブプロデューサーを経て、『ウルトラマンガイア』3クール目から笈田雅人に替わってチーフプロデューサーに就任。
2001年の『ウルトラマンコスモス』から本格的にプロデューサーを担当した後、2004年には『ウルトラマンネクサス』、2006年には『ウルトラマンメビウス』、2008年には『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』をプロデュース。
[編集] エピソード
『ウルトラマンネクサス』ではその従来のウルトラマンとかけ離れた作風から、児童層の人気が得られず、上層部からも路線変更を提案されていた。しかし「路線変更は視聴者への裏切り」というのが信条であり、路線変更を受け入れず、結果『ネクサス』は1クール短縮となった。このことに関し、「『機動戦士ガンダムSEED』や『鋼の錬金術師』など、アニメはどんどん新しいことに挑んでいくのに、なんで特撮はいつまでも新しいことが出来ないのか」とコメントした。
『ウルトラマンメビウス』では、昭和のウルトラシリーズとリンクした世界観から、過去の作品で消化不良に終わった点に決着をつけるためのエピソードも採り入れた。『ウルトラマン80』での教師の設定に決着をつけるために、オリジナルキャストの長谷川初範へ思いの丈をつづった手紙を送り出演を願ったり、『ウルトラマンA』最終話のセリフを使用するために『A』の当時の脚本家に、やはり許可をもらうための手紙を送るなどした。
[編集] 作品リスト
[編集] テレビシリーズ
- 1996年 ウルトラマンティガ(サブプロデューサー)
- 1997年 ウルトラマンダイナ(サブプロデューサー)
- 1999年 ウルトラマンガイア(プロデューサー)
- 2001年 ウルトラマンコスモス(プロデューサー)
- 2004年 ウルトラマンネクサス(プロデューサー)
- 2005年 ウルトラマンマックス(プロデューサー)
- 2006年 ウルトラマンメビウス(プロデューサー)
- 2007年 ULTRASEVEN X(企画協力)
- 2007年 ウルトラギャラクシー大怪獣バトル(プロデューサー)