海禅院
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海禅院 | |
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所在地 | 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-28 |
宗派 | 日蓮宗 |
創建年 | 承応2年(1653年) |
開基 | 徳川頼宣 |
文化財 | 多宝塔(市指定文化財) |
海禅院(かいぜんいん)は、和歌山県和歌山市和歌浦中にある日蓮宗の寺院である。
[編集] 歴史
慶安2年(1649年)、徳川家康の三十三回忌の際、養珠院(お万の方)が、妹背山に法華経を書写した経石を納めた石室を造り、その上に小堂を建てたのが創始である。養珠院に賛同した後水尾上皇や庶民など、身分を問わず全国から経石を集めて総数は20万個になったという。
養珠院の没後、承応2年(1653年)に紀州藩主徳川頼宣は、小堂を二層の多宝塔に改築し、拝殿と唐門を建立した。その後、養珠寺の末寺になり、紀州徳川家の庇護を受けていたが、明治維新で江戸幕府が滅亡すると禄を失い荒廃していき、多宝塔を残すのみとなった。
明治時代に紀州徳川侯爵家の意向で、本山報恩寺が海禅院の管理をすることになったが、檀家はなかった。
1967年(昭和42年)2月14日、和歌山市指定文化財となった。
1994年(平成6年)から1996年(平成8年)まで3年掛かりで痛みの激しかった多宝塔を解体修理した。
2002年(平成14年)、報恩寺執事長・海禅院住職となった松本惠昌は、妹背山護持顕彰会を設立し、2004年(平成16年)に養珠院が埋めた経石の調査を行い、15万個以上が発見された。家康だけではなく戦死した国内の多くの人々を供養する意志があったことが、石箱に刻まれた銘文から判明した。また、経王堂が再建された。
現在は、旧伽藍の復興と妹背山の国指定史跡への登録に向けた計画が進行している。
[編集] 伽藍
境内は嘗て妹背山全体であったが、現在は多宝塔の周囲330m²のみになっている。また、三断橋や和歌山城と同じ石積みであることや手摺りなど建築面での価値も高いことが判ってきている。
- 拝殿 - 現存せず
- 唐門 - 現存せず
- 多宝塔 - 市指定文化財
- 経王堂 - 再建
- 三断橋
- 観海閣 - 再建