泉重千代
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泉 重千代(いずみ しげちよ、1865年8月20日(慶応元年6月29日) - 1986年2月21日(昭和61年2月21日)は、鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身の元世界最長寿人物。男性。
「世界最長寿人物」の記録はジャンヌ・カルマンによって更新されたが、男性としての「世界最長寿人物」記録はいまだ彼が保持している。
[編集] 経歴
1865年(慶応元年)に徳之島(鹿児島県伊仙町)で生まれたとされている。1871年(明治4年)に行われた日本初の国勢調査で6歳と記録されている事がその裏付けである。生後半年で両親を亡くしたため、祖父の養子として育てられた。青年時代はサトウキビ畑での労働を行っていたという。1904年(明治37年)に妻・みや(1965年/昭和40年に逝去)と結婚。この5年後の1909年(明治42年)に、沖縄への帆掛け舟で新婚旅行に出かけた。
1966年(昭和41年)、満101歳となった時、地元の鹿児島大学医学部助教授(当時)の福田正臣が高齢者診察を行った際、泉に対して「100歳を過ぎても胃腸はすこぶる順調。歯がなくなったものの普通にご飯やおかずを食べる(但しおかゆは好まず)、目も耳も達者である」という診察結果を発表。1979年(昭和54年)の日本老年医学会で、福田は彼の世界最高年齢生存記録については否定したが、その後、1980年(昭和55年)刊行のギネスブックでは「世界最長寿人物」として取り上げられ、地元・伊仙町から名誉町民の称号を与えられた。
泉は1980年(昭和55年)4月3日、ギネスブック編集者の正式な訪問を受けている。彼はこんなにも長生きできた理由として「神様と仏様とお天道様のおかげ」と語った。またインタビューで、「好きな女性のタイプは」と聞かれて「やっぱり年上かのう…」と答えた、という逸話がある。 また、好きな飲み物は黒砂糖から作った焼酎であるとも答え、長生きの秘訣について酒をあげたというエピソードがある[1]。
[編集] 生年に関する異論
泉が120歳まで生存したことは、日本国内ではほぼ事実であるという受け止め方が一般的である。これは、最初の国勢調査において記載されている生年月日が正しく、かつ1986年に亡くなった人物と国勢調査に記載された人物が同一であることが前提である。しかし、その当時出生証明書の制度は存在せず、厳密には泉が間違いなく1865年生まれであったかどうかについては議論の余地が存在する。
ギネスブックによって泉が「世界最高齢」と認定されて以降、「実際には泉が生まれたのはもっと遅いのではないか?」という意見(上記の福田も含む)が週刊誌などにも取り上げられたことがある。それによると、1865年というのは早世した兄の生年であり、実際の泉は1880年前後の生まれであるが、兄の生年月日が使われていたのだという。つまり、泉は100歳を超える長寿ではあったが、世界記録と呼べるかどうかはわからないということになる。
これについては証言できる人間はみな泉より先に亡くなっていること、検証できる資料に乏しいこと、さらにギネスブックによって「認定」 されたということから、泉が亡くなって以降も積極的な検証はなされていない状況である。英語版のWikipediaにおいては、泉の生年には疑問符が付されており、議論の余地があるという表記がなされている。
[編集] 関連項目
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 本郷かまと
- きんさんぎんさん
- 花丸ハムスター、ハムスター倶楽部 - 登場するメスのハムスターしげっちの名は泉重千代に由来する。
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