比嘉秀平
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比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年6月7日 - 1956年10月25日)は、戦前の沖縄県の教育者、琉球政府の政治家。 1952年4月から1956年10月まで琉球政府行政主席を務めた。沖縄県読谷村出身。
[編集] 経歴
明治34年(1901年)6月7日生まれ。小学校時代に事故で右腕を失うも、勉学に励み早稲田大学を卒業する。
最初は和歌山県の高野山中学校に勤務後、沖縄県立第二中学校及び第三中学校の教諭を務める。
沖縄戦後、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任した。
その行政手腕と英語での意思疎通ができることを買われて、1950年に設けられた臨時琉球諮詢委員会委員長を務め、初代行政主席に就任する。
主席在任中に軍用地問題が起き、その解決に追われる中急死する。
[編集] 関連項目
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