正親町三条実雅
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正親町三条 実雅(おおぎまちさんじょう さねまさ、応永16年(1409年)-応仁元年9月3日(1467年10月1日))は、室町時代の公卿・歌人。父は権大納言正親町三条公雅。母は家女房。妹に三条尹子(足利義教室)・足利義教妾らがいる。子に公宣・公冬・公承がいた。青蓮華院入道前内大臣と号した。
応永20年(1413年)正月に叙爵。侍従・頭中将などを務めて、永享4年(1432年)7月に参議になる。永享9年(1437年)10月、権中納言で使別当に補せられる(左衛門督)。妹に将軍足利義教継室の尹子がいたが、嘉吉元年(1441年)6月24日に義教が暗殺されたとき(嘉吉の乱)に実雅もその席に陪従していたため数ヶ所の傷を負った。同年12月に権大納言に昇進し、翌々年3月に大宰権帥を兼ねた。享徳2年(1453年)12月に官を辞す。長禄元年(1457年)9月内大臣になり、翌年7月これを辞任した。長禄3年(1459年)正月に従一位に叙され、寛正2年(1461年)7月29日に出家して法名を常禧とした。応仁元年)1467年)9月3日に59歳で薨去。和歌に秀でていた。
[編集] 参考文献
- 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年