植村家興
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植村 家興(うえむら いえおき)は、大和高取藩の第12代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 天保6年(1835年) | |||
死没 | 嘉永6年7月17日(1853年8月21日) | |||
別名 | 大蔵(幼名) | |||
戒名 | 彰感円通映顕院 | |||
墓所 | 東京都港区芝の如来寺 | |||
藩 | 大和高取藩主 | |||
氏族 | 大村氏→植村氏 | |||
父母 | 父:大村純昌、養父:大村純顕のち植村家貴 | |||
兄弟 | 大村純顕、阿部正備、高木寅純、小出英教、 大村純熈、植村家興 |
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妻 | 正室:なし | |||
子 | 実子なし 養子:植村家保 |
天保6年(1835年)、肥前大村藩主・大村純昌の九男として生まれる。はじめ実兄の大村純顕の養子として迎えられていたが、高取藩の第11代藩主・植村家貴の養子として迎えられ、嘉永6年(1853年)の家貴の死去により、4月22日に家督を継いで高取藩主となった。
しかし養父の後を追うように、7月17日に死去。享年19。このため、末期養子として迎えられた家保が後を継いだ。
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