梅棹忠夫
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梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 - )は、日本の生態学者、民族学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。 理学博士(京都大学、1961年)。京都府京都市生まれ。
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[編集] 人物
日本における文化人類学のパイオニアであり、梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開し、多方面に多くの影響を与えている人物。京大今西錦司門下の一人。生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。博士論文は、梅棹の文化人類学的な研究を知るものにとっては意外かもしれないが、ヒキガエルのオタマジャクシが集団内でとる分布様式を、数理生態学的に解析したものであった。
三高時代から山岳部で活躍し、京都大学在学中には今西錦司を団長、森下正明を副団長とする中国北部『大興安嶺探検隊』などの探検に参加活躍をした。モンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、生物地理学的な歴史観を示した『文明の生態史観』は、日本文明の世界史的位置づけにユニークな視点を持ち込み、大きな反響を呼び論争を巻き起こした。この主著は後の一連の文明学におけるユニークな実績の嚆矢となった。フィールドワークや京大人文研での経験から著した『知的生産の技術』(岩波書店)は長くベストセラーとなり、同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。1963年には『情報産業論』を発表。A.トフラーの「第三の波」よりもかなり先行した時期に情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』(1988年)にまとめられている。
大阪で開催された日本万国博では、テーマ委員の桑原武夫の要請により、「基本理念」を起草したとされている。国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した。1986年に原因不明の失明をしたため、それ以降の著述は口述筆記で行われている。
日本語のローマ字論者(ローマ字化推進論者)で、社団法人日本ローマ字会会長でもある。梅棹の漢字廃止論自体は古くからのものであるが、1980年代以降の漢字廃止にかかわる論説には、上記の失明体験も深く影響を与えている。また、エスペラント運動家(エスペランティスト)でもある。主な著作は「梅棹忠夫著作集」(中央公論社)に所収されている。 宗教観については、彼は無宗教であるが、イスラームに対しては、人と神がマンツーマンで接することができる宗教として、共感を抱いている。
[編集] 略歴
- 京都府立京都第一中学校卒業
- 第三高等学校卒業
- 1943年9月 京都帝国大学理学部動物学科卒業
- 1945年 西北研究所嘱託
- 1949年4月 大阪市立大学理工学部助教授(1959年に理学部と工学部に分離)
- 1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊員
- 1957年 大阪市立大学東南アジア学術調査隊長
- 1963年 京都大学アフリカ学術調査隊員
- 1965年8月 京都大学人文科学研究所助教授
- 1969年4月 京都大学人文科学研究所教授
- 1973年 国立民族学博物館創設準備室長
- 1974年6月 国立民族学博物館館長(初代)
- 1986年3月 ほぼ失明状態となる
- 1988年3月 京都大学人文科学研究所名誉所員
- 1993年4月 国立民族学博物館顧問、名誉教授 総合研究大学院大学名誉教授
- 1996年1月 京都大学名誉教授。
[編集] 受賞歴・叙勲歴
- 1988年3月 フランス・パルム・アカデミーク勲章コマンドゥール章受章
- 1988年5月 紫綬褒章受章
- 1990年 国際交流基金賞受賞
- 1991年11月 文化功労者
- 1994年11月 文化勲章受章
- 1995年10月 京都市名誉市民
- 1999年11月 勲一等瑞宝章受章
[編集] 系譜
- 梅棹氏 初代儀助は文政年間(1818年~1829年)、現在の滋賀県伊香郡西浅井町菅浦で生まれた。“梅棹”という姓は“水軍の棹”と関係があるという。儀助は幕末(1840年頃)、京都にでて、大工になり棟梁として西陣の大きな寺の建築を請け負ったという。儀助は晩年にいたって、大工を廃業し、木工品の製造をはじめたが、のちに下駄の製造販売に転じた。成功して、西陣でもかなり大きい履物商をいとなむようになり、さらに化粧品などの小間物の店を開いた。[1]
儀助━━菊之助━━菊次郎━━忠夫
[編集] 著作
- 1956年 『モゴール族探検記』(岩波新書 ISBN 4-00-415060-4)
- 1957年 『文明の生態史観序説』
- 1960年 『日本探検』
- 1962年 『日本人の知恵』(共著)(中央公論社)
- 1964年 『東南アジア紀行』(中公文庫 ISBN 4-12-200641-4)
- 1965年 『サバンナの記録』(朝日新聞社 ISBN 4-02-259154-4)
- 1967年 『文明の生態史観』(中公文庫 ISBN 4-12-203037-4)
- 1969年 『知的生産の技術』(岩波新書 ISBN 4-00-415093-0)
- 1971年 『変革と情報 日本史のしくみ』
- 1974年 『地球時代の日本人』(講演集)(中央公論社 ISBN 4-12-000438-4)
- 1975年 『民族学博物館』
- 1976年 『狩猟と遊牧の世界』(講談社学術文庫 ISBN 4-06-158024-8)
- 『山岳 森林 生態学』(共著)
- 『歴史と文明の探求』(共著)
- 1977年 『生態学入門』(共著)
- 1980年 『人類学周遊』(筑摩書房 ISBN 4-48-085159-3)
- 1981年 『わたしの生きがい論』(講談社 ISBN 4-06-115097-9)
- 『美意識と神さま』(中央公論社 ISBN 4-12-001061-9)
- 1983年 『大阪-歴史を未来へ』(共著)(潮出版社 ISBN 4-26-700710-1)
- 1986年 『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』(NHKブックス ISBN 4-14-001500-4)
- 1987年 『日本人のこころ-文化未来学への試み』(朝日選書 ISBN 4-02-259115-3)
- 『梅棹忠夫の京都案内』(角川選書 ISBN 4-04-703178-X、角川文庫 ISBN 4-04-376401-4)
- 『京都の精神』(角川選書 ISBN 4-04-703181-X、角川文庫 ISBN 4-04-376402-2)
- 『日本三都論-東京・大阪・京都』(角川書店 ISBN 4-04-703182-8)
- 『メディアとしての博物館』(平凡社 ISBN 4-58-273805-2)
- 『あすの日本語のために』(くもん選書 ISBN 4-87-576395-6)
- 1988年 『日本語と日本文明』(くもん選書 ISBN 4-87-576411-1)
- 『情報の文明学』(中央公論社 ISBN 4-12-001693-5、中公文庫 ISBN 4-12-203398-5 )
- 『日本語と事務革命』(くもん選書 ISBN 4-87-576412-X)
- 『女と文明』(中公叢書 ISBN 4-12-001745-1)
- 1989年 『情報論ノート』(中公叢書 ISBN 4-12-001778-8)
- 『情報の家政学』(ドメス出版 ISBN 4-81-070282-0、中公文庫 ISBN 4-12-203668-2)
- 『研究経営論』(岩波書店 ISBN 4-00-000611-8)
- 『二十一世紀の人類像をさぐる』(講談社 ISBN 4-06-204411-0)
- 『夜はまだあけぬか』(講談社 ISBN 4-06-204696-2、講談社文庫 ISBN 4-06-185857-2)
- 1990年 『情報管理論』(岩波書店 ISBN 4-00-002675-5)
- 1991年 『21世紀の人類像-民族問題を考える』
- 『回想のモンゴル』(中公文庫 ISBN 4-12-201865-X)
- 1992年 『実践・世界言語紀行』(岩波新書 ISBN 4-00-430205-6)
- 『裏返しの自伝』(講談社 ISBN 4-06-206118-X)
- 1997年 『行為と妄想-私の履歴書』(日本経済新聞社 ISBN 4-53-216220-3、中公文庫 ISBN 4-12-204006-X)
- 『世界史とわたし-文明を旅する』(NHKブックス ISBN 4-14-001800-3)
- 2000年 『近代世界における日本文明-比較文明序説』(中央公論新社 ISBN 4-12-003027-X)
- 2001年 『文明の生態史観はいま』(編著)(中央公論新社 ISBN 4-12-003119-5)
- 2004年 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を』(編著)(NHKブックス ISBN 4-14-091001-1)
- 2007年9月 読売新聞 時代の証言者 連載
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 『行為と妄想-私の履歴書』 18-21頁
[編集] 外部リンク
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