松平乗保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 乗保(まつだいら のりやす、寛延元年(1748年) - 文政9年6月26日(1826年7月30日))は、江戸時代後期の大名、政治家。美濃岩村藩第4代藩主。老中。岩村藩大給松平家5代。
丹波福知山藩主・朽木玄綱の八男。母は浅田氏(華嶽院)。正室は松平康福の娘。子は松平乗友(長男)、松平乗美(次男)、松平乗時(三男)。幼名は慥五郎、官位は、はじめ河内守、ついで能登守を名乗る。寛延2年(1749年)12月11日生まれともされる。
松平乗薀の長男・乗国、次男・乗遠がいずれも早世し、実父の玄綱が岩村藩大給松平家出身であったことから、美濃岩村藩の養子に迎えられる。天明元年(1781年)、養父・乗薀の隠居により家督を相続。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中を歴任した。
文政9年(1826年)死去。長男・乗友は早世したため、次男の乗美が家督を相続した。
[編集] 略歴
- 1748年(寛延元年) 朽木玄綱の八男として生誕
- 1770年(明和7年) 12月、松平乗薀の養子となる
- 1771年(明和8年) 12月従五位下河内守に叙任。
- 1773年(安永2年) 4月松平康福の女と婚した。
- 1781年(天明元年) 4月養父の隠居により岩村藩の家督相続。
- 1783年(天明3年) 能登守に改める
- 1784年(天明4年) 5月奏者番
- 1789年(寛政元年) 7月西丸若年寄
- 1804年(文化元年) 8月本丸若年寄
- 1806年(文化3年) 10月大坂城代。官位が従四位下に昇格
- 1810年(文化7年) 6月西丸老中。侍従
- 1826年(文政9年) 6月26日、在職のまま死去。享年78。
墓:東叡山春性院。 法名 尚通院殿純定篤敬大居士
|
|
|