松井勲
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松井 勲(まつい いさお、1956年8月28日 - )は柔道家(八段)。
福井県生まれ。岐阜県立関高校時代インターハイ個人重量級で山下泰裕を破って優勝。山下の3連覇を阻んだ。山下(東海大学付属相模高等学校→東海大学)・吉岡剛(福岡県立嘉穂高等学校→中央大学)と並び称され将来を大いに嘱望され、高校3年次と大学1年次には全日本ジュニア体重別選手権でそれぞれ2位と3位にも入っている。筑波大学卒業後は同大学の職員に。1979年から3年連続して全日本柔道選手権決勝では3位と、山下の前に涙を飲んだ。185cmと山下に対して長身であったが後年はライバルには成り得ず、その抜群な素質を惜しむ声もあった。全日本柔道選手権では準優勝が1回・3位が実に5回有るが遂に優勝には届かなかった、悲運の選手。
現在は警察大学校、上智大学などで指導にあたっている。全日本柔道連盟審判委員会副委員長。