李清照
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李清照(りせいしょう、1084年 - 1153年)は、北宋末期・南宋初期の詩人。斉州歴城(現在の山東省済南市)の人。夫は政治家の趙明誠。中国史上を代表する女流詞人として知られている。
18歳の時、当時太学の生徒であった3歳年上の夫と知り合って結婚する。本や古器物をこよなく愛した二人は衣類を質に入れては気に入った本などを購入したと言われるほどの蔵書家であった。後に清照は夫の『金石録』編纂を手伝う事になる。
ところが、母の葬儀のために夫婦揃って帰郷の途中、靖康の変が発生して夫の任地も金軍の攻撃を受けて蔵十数個に分散されていた蔵書類は悉く焼かれてしまう。更に1129年に臨安の宮廷に召されていた夫が48歳で急死、清照とともに残された車十数台分の蔵書の残りも金軍の兵火と流民の略奪によって悉く失われた。更に再婚した夫に虐待された末に離別して流浪の生涯を送る中で優れた詞を多く生み出したと言う。