李惲
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李惲(り こん、生年不詳 - 674年)は、中国の唐の太宗李世民の七男。蒋王に立てられた。
[編集] 経歴
李世民と王氏の間に生まれた。
631年、郯王に封ぜられた。634年、洺州刺史に任ぜられた。636年、蒋王に改封され、安州都督に任ぜられて、実封八百戸を受けた。649年、実封千戸を加えられた。652年、梁州都督に移された。
李惲は器物の造作や服飾を楽しみ、車は400両を所有して、州県を通るたびに護衛のため騒然としていた。そのため役人が訴えて奏上したが、高宗は不問に付した。のちに遂州刺史・相州刺史を歴任した。674年、箕州刺史に転じた。
ときに録事参軍の張君徹が李惲の謀反を誣告したため、高宗の使者が取り調べに来ると、李惲は恐れて自殺した。高宗が謀反の実態のないことを知ると、張君徹を斬り、李惲に司空・荊州大都督の位を追贈し、昭陵に陪葬した。
子に李煒・李煌・李休道があった。李煒ははじめ汝南郡王となり、李惲が亡くなると、蒋王の位を継いだ。武則天のために殺害された。李煌は蔡国公に封ぜられた。