懐素
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懐素(かいそ、725年? - 785年?)は中国・唐代の書道家・僧。字は蔵真、俗姓は銭。長沙(湖南省、一説には零陵)出身。
その作風は狂草と呼ばれる草書のなかでも奔放な書体を得意とし、張旭とは「顛張醉素」と並称され名を斉しくし、後世に多大な影響を与えた。
主な作品:「自叙帖」「苦筍帖」「食魚帖」「聖母帖」「論書帖」「大草千文」「小草千文」(『千字文』)
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[編集] 苦筍帖
全文14字(苦筍及茗異常佳,乃可逕來。懷素白)の短い尺牘(せきとく、手紙)であり、懐素の真蹟とされる。中国上海博物館蔵。
「非常によい苦筍とお茶があるので、すぐにでも来られたし。」との内容から、率意の書と思われるが、行の芯を通し、構成も巧みである。
苦筍(くじゅん)とは、苦竹(にがたけ、マダケの異称)の筍である。色が白く、香り良くほろ苦いが、微かな甘味もある。四川省一帯では今でも好んで食し、懐素の出身地の湖南省でも食べる人がいる。この地方の特産品である。
[編集] 聖母帖
貞元9年(792年)の書。これは聖母という女仙人を祭る祠堂(しどう)を改修したときの記録を書いたもので、草書で53行、頭初の2字をとって聖母帖(せいぼじょう)と呼ぶ。聖母は東晋の康帝のときの人で、江蘇省広陵の林氏の妻であったが、劉綱について仙術を学び、その術が幻妙に達したので神仙として廟祠に祭られた。この帖に署者はないが、懐素の書と伝えられ、自叙帖などが遒痩であるのに比べて、温潤な筆致を示している。宋の元祐3年(1088年)に刻され、西安碑林にその刻石は現存する。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『日本と中国の書史』 - 社団法人 日本書作家協会発行 木村卜堂編著