後藤博子
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後藤 博子(ごとう ひろこ、昭和23年(1948年)5月21日 ‐ )は、日本の政治家。国民新党の元参議院議員(1期)。
生年月日 | 昭和23年(1948年)5月21日 |
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出生地 | 大分県大分市 |
出身校 | 別府大学短期大学初等教育学科卒業 |
学位・資格 | 準学士 |
前職 | 会社役員 |
所属委員会 内閣役職 |
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世襲 | 無 |
選出選挙区 | |
当選回数 | 1回 |
所属党派 | 国民新党 |
党役職 | 大分県支部長 |
会館部屋番号 | |
ウェブサイト | 後藤博子ホームページ |
目次 |
[編集] 概要
- 大分県大分市出身。
- 一男一女をもうける。
- 国際協力事業団(JICA)支援によりブラジルのアマゾナス州マナウスに家族で工業移住。 マナウス日伯文化協会の日本語学校で日系二世、三世に日本語や日本文化について指導する。
- 平成17年(2005年)8月8日、郵政民営化関連法案の参議院本会議採決では反対票を投じた。
- 自民党大分県連が次期参院選の候補者を公募で決定する方針を打ち出したことに反発、逢沢一郎幹事長代理に対して離党届けを提出。自民党執行部は離党届を受理せず、党紀委員会で決定することにした。6月23日、党紀委員会は離党届を受理した。6月28日、無所属議員として、参議院会派「国民新党・新党日本・無所属の会」に入会。
- 平成18年(2006年)7月、国民新党に入党し、次期参院選大分選挙区への出馬を表明した(当初は、地元大分ではなく、比例区への出馬が決まっていた。これは、民主党・社会民主党と参議院一人区で推し進める野党共闘に配慮したためである。しかし、民主党県連が、社民党の立てた候補を嫌い独自候補を擁立し、共闘は失敗。混戦模様となったため、後藤も選挙区から立候補に転換したのである)。
- 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に大分選挙区より国民新党から出馬するが上記のように野党の候補統合に失敗したため、自民党の新人である礒崎陽輔に敗れ落選した。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 昭和36年(1961年)
- 3月 大分市立大道小学校卒業。
- 昭和39年(1964年)
- 3月 大分市立王子中学校卒業。
- 昭和42年(1967年)
- 3月 大分県立大分舞鶴高等学校卒業。
- 昭和44年(1969年)
- 3月 別府大学短期大学部初等教育科卒業。
- 昭和57年(1982年)
- 昭和60年(1985年)
- 帰国。
- 平成9年(1997年)
- 大分県中小企業家同友会常任理事・女性部長。
- 平成10年(1998年)
[編集] 政歴
- 平成13年(2001年)
- 7月29日 第19回参議院議員通常選挙(大分選挙区・自由民主党)当選。304,830票。
- 平成18年(2006年)
- 平成19年(2007年)
- 5月29日 第21回参議院議員通常選挙(大分選挙区・国民新党)落選。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 後藤ひろこホームページ(公式サイト)