平戸市
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平戸市(ひらどし)は、長崎県北西部の平戸島を主な行政区域とする市で長崎そして九州本土としては最西端に位置する都市。鎖国前は国際貿易港だった。旧平戸藩(松浦氏)の城下町。
2005年10月1日に周辺の田平町・生月町・大島村と対等合併して新市制による平戸市となった。これにより本土にも市域が拡大した。市役所は旧平戸市役所の建物が引き続き使用されている。
目次 |
[編集] 地理
長崎県北西部の北松浦半島の北西端の地域、および同半島と平戸瀬戸を挟んで西向かいにある平戸島、そして平戸島の北西にある生月島(いきつきじま)、平戸島の真北にある度島(たくしま)、度島のさらに真北にある的山大島(あづちおおしま)を主な市域とする。位置は佐世保市から北西約25km、長崎市から北北西約80kmの距離である。平戸大橋で本土と平戸島がつながり、生月大橋で平戸島と生月島がつながっている。
- 山:安満岳・屏風岳・吹上山
- 河川:久吹川
- ダム:久吹ダム
[編集] 隣接している市町村
[編集] 歴史
特に鎖国が行われる前の江戸時代初期までにおいては、対外貿易の中心として栄えていた。
[編集] 近世以前
- 1191年 栄西が留学先の南宋から平戸島に帰着する。
- 1225年 松浦党の一族持(平戸松浦氏祖)、小値賀から平戸に移り館山(松浦史料博物館裏山)に館を築く。
- 1550年 ポルトガルの貿易船が初めて平戸に入港。同年9月、フランシスコ・ザビエルが平戸で布教する。
- 1561年 宮ノ前事件が発生、翌年からポルトガル船の貿易港が大村領の横瀬浦に替わる。
- 1584年 スペインの貿易船が入港。
- 1609年 オランダが商館を設置。
- 1613年 イギリスが商館を設置。(1623年閉鎖)
- 1615年 イギリス商館長リチャード・コックス、九州(日本本土)で初めてサツマイモを栽培する。(当時の沖縄にあった琉球王国では、1605年初めて栽培されたとされている)
- 1620年 三浦按針(ウィリアム・アダムス)、平戸で病没。
- 1641年 オランダ商館が長崎へ移転、平戸での南蛮貿易が終焉を迎える。
- 1707年 亀岡城(平戸城)竣工する。
[編集] 近現代
- 1880年 旧藩主松浦詮が元の藩士等の子弟教育のため猶興書院を開く。現在の猶興館高校の前身。
- 1955年 旧松浦邸を改装した松浦史料博物館が開館する。
- 1969年 長崎国体相撲競技が行われ、臨席のため昭和天皇・香淳皇后が平戸を訪問。
- 1977年 4月4日、平戸大橋開通。平戸島と本土がつながる。
[編集] 行政区域の変遷
- 1871年 廃藩置県で平戸藩が廃され平戸県となり、さらに長崎県へ併合される。
- 1889年4月1日 町村制度施行により、以下の各町村が発足。
- 北松浦郡平戸町・平戸村・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村・田平村・南田平村・生月村・大島村
- 1925年4月1日 平戸町と平戸村が対等合併し、新町制による平戸町が発足。
- 1940年4月17日 生月村が町制施行。生月町となる。
- 1954年4月1日 田平村と南田平村が対等合併し町制施行。田平町が発足。
- 1955年1月1日 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が対等合併して市制施行。平戸市が発足。
- 2005年10月1日 周辺の大島村・生月町・田平町と対等合併。新市名は平戸市。この結果、長崎県から村が消滅。
[編集] 行政
[編集] 歴代市長
- 市長:白浜信(旧平戸市長、2005年11月6日~)
- 市長職務執行者:小浜賢一(旧大島村長、2005年10月1日~2005年11月5日)
[編集] 産業
平戸城下町の名所旧跡を中心としていた観光業は平戸大橋開通前後のブームが過ぎてから一時沈滞していたが、観光資源の再開発や隣接地域との連携、体験型観光への対応を図っている。鉱工業はふるわず、農業及び漁業が重要な産業となっているものの、他産地との競争が激しく苦闘を強いられている。
[編集] 名産品
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 一般国道
[編集] 主要地方道
[編集] 一般県道
- 長崎県道152号田平港線
- 長崎県道153号田ノ浦平戸港線
- 長崎県道221号以善田平港線
- 長崎県道230号北松公園平戸口線
[編集] 有料道路
[編集] 高速道路
- なし。最寄りインターチェンジは西九州自動車道佐世保みなとインターチェンジ。
[編集] 船舶
- 平戸~大島
- 平戸~度島
- 佐世保~相浦~津吉
- 福江~青方~小値賀~宇久~舘浦~博多
[編集] バス路線
[編集] 一般路線バス
[編集] ローカルヒーロー
平戸防衛戦隊ひらどしマン。現在活動休止中。2000年に町おこしの一環として結成された。あごレッド、鬼ようちょうブルー、かまぼこイエロー、ごぼうもちグリーン、平戸牛ピンク、オランダトリコロールの6人のヒーローからなる。宿敵イジメンガーと闘い日夜平戸の平和を守り続けているという。その活動は平戸だけにとどまらず、長崎県内各地のイベントをはじめ、時には県外でも活動していた。
[編集] 地域
[編集] 教育
[編集] 高等学校
- 長崎県立平戸高等学校
- 長崎県立猶興館高等学校
- 長崎県立猶興館高等学校大島分校
- 長崎県立北松農業高等学校
[編集] 中学校
- 平戸市立平戸中学校
- 平戸市立中野中学校
- 平戸市立中部中学校
- 平戸市立南部中学校
- 平戸市立野子中学校
- 平戸市立野子中学校高島分校
- 平戸市立度島中学校
- 平戸市立田平中学校
- 平戸市立生月中学校
- 平戸市立大島中学校
[編集] 小学校
- 平戸市立平戸小学校
- 平戸市立田助小学校
- 平戸市立中野小学校
- 平戸市立中野小学校主師分校
- 平戸市立中野小学校古江分校
- 平戸市立獅子小学校
- 平戸市立根獅子小学校
- 平戸市立紐差小学校
- 平戸市立大川原小学校
- 平戸市立宝亀小学校
- 平戸市立中津良小学校
- 平戸市立堤小学校
- 平戸市立津吉小学校
- 平戸市立志々伎小学校
- 平戸市立志々伎小学校早福分校
- 平戸市立野子小学校
- 平戸市立野子小学校高島分校
- 平戸市立度島小学校
- 平戸市立田平北小学校
- 平戸市立田平東小学校
- 平戸市立田平南小学校
- 平戸市立生月小学校
- 平戸市立山田小学校
- 平戸市立大島小学校
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
1996年より2003年にかけて、観光客は微増し続けている。平戸市はこの要因として、平戸温泉やイベントなどの観光開発や、佐世保市や県観光連盟との連携強化などを上げている。
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
- 平戸城(亀岡城)
- 松浦史料博物館
- 聖フランシスコ・ザビエル記念教会
- 紐差教会
- 宝亀教会
- 寺院と教会の見える風景 - ザビエル記念教会・光明寺・瑞雲寺の3つの寺院が重なる。
- オランダ塀
- 崎方公園
- 切支丹資料館
- 田平公園
- たびら昆虫自然園
- 里田原歴史民俗資料館
- 田平天主堂(カトリック田平教会、瀬戸山天主堂)
- 生月町博物館「島の館」
宝亀教会と田平天主堂は2007年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産暫定リストへの追加が決定した。
[編集] 祭事・催事
- 子泣き相撲(2月3日):最教寺
- 平戸温泉・城下ひな祭り(2月15日~4月3日)
- 平戸海道渡海人祭(5月上旬)
- 平戸南風夜風人まつり(夏の陣:8月上旬、秋の陣:9月中旬)
- たびら夏まつり(8月17日)
[編集] 平戸市出身の有名人
- 生月鯨太左エ門(江戸期の大相撲力士、伝説の巨漢力士として知られる)
- 沖偵介(諜報活動家)
- 金子岩三(政治家、元農水相)※旧生月町
- 金子原二郎(元衆議院議員、現長崎県知事)※旧生月町
- カミタミカ(歌手)※旧田平町
- 栗林慧(昆虫写真家)※旧田平町
- 黒崎義介(日本画家、童画家、絵本画家)
- 作江伊之助(爆弾三勇士あるいは肉弾三勇士のひとり)
- 高田明(ジャパネットたかた社長)
- 隆乃若勇紀(大相撲力士)※旧生月町
- 田中森一(弁護士、元検察官)
- 鄭成功(中国明の軍人、平戸生まれ)
- 鄭審一 (鄭成功の実弟田川次郎左衛門(のち七左衛門)11世孫)
- 永田菊四郎(法学博士・日本大学第5代総長、名誉総長)
- 藤浦洸(作詞家、詩人)
- 古川俊一(筑波大学教授、行政学者)
- 前川和也(元サッカー選手)
- 柳本柳作(海軍大佐、空母「蒼龍」艦長)
[編集] 関連項目
- 平戸市の地名(一覧)
[編集] 外部リンク
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