利用者:岩見浩造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
どうも。岩見浩三です。アカウント取得してから半年経って漸く自分を紹介する気になったものぐさです。堅い話はアカウントつきでやることにしています。
[編集] 執筆分野とその雑感
主に軍事関連に興味があり、場合によっては鉄道等他の分野での執筆も行ないます。投稿履歴を確認してくだされば最近の傾向はわかるかと思います。2008年初頭現在(以下の話も基本的にはその時点の事とお考え下さい)では、オーソドックスですが太平洋戦争関連の記事に集中しています。これ、軍事に興味のある人ならかなりの確率で興味を持つ分野ですよね。
メジャーなテーマに関連する記事でも、内容面で抜けのある項目がまだ多いので、そういう部分を埋めていこうかとは思います。例えば、経過だけ書かれていて背景や影響が無い記事とかですね。他の項もそうかも知れないですが、英語版に比較すると完成度の低い項目がまだまだ多いと思う。日本語でも優れた(或いはニッチな)文献が色々あり、日本語版ユーザーには日本語を解する能力があるのですから、英語版以上によい記事を書く位の気概は持ちたいところ。軍オタ系の方々なら情報の重要性やクラウゼビッツの有名な言葉はスローガンで終わっては欲しくない、そういう編集を望みたいところです。一部の人達のやたらに他罰的な傾向はどうにもね。読者としてはそういう感想。
[編集] 執筆の際特に気になってしまうこと
とは言っても、私は軍事関係を専門にして(例えば生活の糧にして)いません。なので戦史叢書や国鉄百年史レベルの文献でも図書館頼みになってしまいますし、書こうと思って調べたり、執筆を見据えて新しく文献を買って読んだり、一度読んだ文献を読み直したりするわけです。まあ驚きの連続ですね。ネットの海や図書館の類に行くと、人間である自分が獲得できる知識がいかに限られたものであるかを思い知らされます。
後は、Wikipedia:検証可能性の問題ですね。著作権等々のハードルをかわしつつ、出典の明記には気を使いたいところです。これが無いとどれほど優れた内容の記事でも、何処から出てきた言葉なのかがサッパリ見えてきませんので。それに、執筆の際にチェックを厳重にしていくと間違って認識している評価も見つかってきます。例えば、「目的を全く理解していなかった」と「目的が曖昧だった」では意味合いが違いますよね。自分もそうですが、得てして人は外集団均質化効果をはじめとする種々の思い込みに無意識レベルでも支配されています。だから過去の気晴らし読書の記憶に頼って漫然と書いていると、書かれてもいないことをうっかり記述してしまう事にもなります。
あとは、公式の方針はルールブック的な条項列挙の傾向が強く、部分によってはルールを設定した目的などを強調してないと思うのですが、読み手への見せ方はよく考えて記事を書いていきたいと思っています(出来てるとは言いませんが)。これは評価的事項の提示というよりは、情報の提示の問題です。例えば、上で挙げた出典の明記に通じますが、情報源のリストアップですね。これにどれだけ気を使うかで、その記事の価値は変わってきます。だから、執筆する記事の数は少ないですが、情報源の類は豊富にするように注意しています。あからさまにイデオロギーが絡まなくても文献AとBで書かれ方や重点が異なることはざらです(それだけ著者の注意の向き方が違うのでしょう)。それでも抜けは出るんですけど。当たり前の事かもしれませんが、基本的なことを積み重ねていくことが大事ではないかなと思います。
投稿の際は、一応纏めて加筆修正してから送信するように努力はしてますが、抜け作なので「てにをは」等でチョンボすることはあります。プレビューとかはちゃんと使ってるんですがね。ケアレスミスはごめんなさい。次回の加筆時に残ってれば直します。