岡崎栄松
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岡崎 栄松(おかざき えいまつ、明治15年(1882年)12月22日 - 昭和35年(1960年)4月28日)は日本の政治家、公務員。第15代 - 18代仙台市長(在職期間 昭和21年(1946年)6月17日 - 昭和32年(1957年)12月17日)。宮城県長袋村(後の秋保町、現在の仙台市)出身。
[編集] 来歴
1882年(明治15年)12月22日、岡崎栄作の二男として宮城県長袋村(後の秋保町、現在の仙台市太白区)町南に生まれる。宮城師範学校より日本大学法律学科に進み、明治42年(1909年)卒業。
卒業後、丸森小学校訓導・岩出山小学校校長・桃生郡視学を経て大正5年(1916年)県視学となった。 大正8年(1919年)より官界に入り、横浜市役所を振り出しに、東京都社会局保護課長・同福利課長・監査課長・下谷区長・大森区長・電灯部長を歴任した。その間、昭和2年(1927年)には財団法人日本栄養協会を組織した。昭和18年(1943年)、宮城県商工経済会理事長に就任し、昭和21年(1946年)6月に公選による初の仙台市長に選ばれた。
仙台は空襲によって一望廃墟とかしていたが、4期の在職中に再建・復興に全身の心血を注いで、仙台市の特色を保持しつつ、東北の首都としての近代都市の基礎を確立した。 また実現には至らなかったが、昭和29年(1954年)には、大仙台市建設構想を計画し世の注目を浴びた。この間、東北七県市長会会長・全国市長会副会長等の要職を兼任した。昭和35年(1960年)4月28日逝去、享年77歳。
[編集] 関連項目
[編集] 関連リンク
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