小梁川宗朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小梁川 宗朝(こやながわ むねとも、文明元年(1469年) - 永禄8年(1565年))は、戦国時代の武将。伊達氏家臣。小梁川盛宗(中務少輔)の子。小梁川親朝の弟。小梁川宗秀の父。信濃守。
小梁川氏は伊達氏の一門であり、宗朝は伊達家第11代当主伊達持宗の孫にあたる。
若い頃は京に出て、兵法・剣術の修行をしていたが、将軍足利義晴に召しだされる。伊達稙宗も奥州より黄金を贈って扶持したという。帰国してのちは稙宗に仕えたが、1542年に稙宗が嫡子晴宗に幽閉されると、これを救い出した。天文の乱では稙宗方として戦い、稙宗が隠居して丸森城に退くとこれに従った。稙宗の死後は墓前で殉死した。