小林祐三
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小林 祐三 | ||
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名前 | ||
愛称 | パンゾー | |
カタカナ | コバヤシ ユウゾウ | |
ラテン文字 | KOBAYASHI Yuzo | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1985年11月15日 | |
出身地 | 東京都 | |
身長 | 176cm | |
体重 | 72kg | |
血液型 | B型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | 柏レイソル | |
ポジション | DF | |
背番号 | 13 | |
利き足 | 右足
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小林 祐三(こばやし ゆうぞう、1985年11月15日 - )は、東京都出身で柏レイソル所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
目次 |
[編集] プレースタイル
高校時代から注目されている期待の若手。いわゆる「平山世代」の選手であり、北京オリンピックを目指す世代である。各年代の日本代表にも数多く招集され、FIFAワールドユース選手権にも出場しレギュラーとして16強入りに貢献する。センターバックのほかに、ボランチ、ウイングバック、サイドバックもこなすことが出来るユーティリティープレイヤー。DFラインの統率もでき、3バックの中央もできる。将来のA代表への台頭が期待されている。
[編集] 経歴
2004年、将来を期待されていたため他クラブからもオファーを受けるが、1年先輩の永田充、谷澤達也ら同高校出身の選手が数多く所属する柏レイソルに入団。1年目から試合に出場するが、レギュラーをつかむまでには至らなかった。チームはJ1最下位の16位に終わり、入れ替え戦でなんとか降格を免れる。
2005年、DFラインに永田充、波戸康広らがいる上にヴィッセル神戸から土屋征夫が加わり、レギュラーを獲ることが一層厳しくなる。ただ、持ち前のユーティリティーさを生かし、時たま試合に出ることも。しかし、味方選手の累積警告で久しぶりに試合に出たとき、前半45分で相手選手をペナルティーエリア内で倒し、一発退場となってしまう。退場時に号泣した。個人としてはFIFAワールドユース選手権日本代表に選ばれ、レギュラーとして16強入りに貢献する。チームは18チーム中16位に終わり、2年連続の入れ替え戦となる。ヴァンフォーレ甲府相手に1-2、2-6と敗れ、初のJ2降格となる。
2006年、永田充、明神智和、波戸康広、土屋征夫がチームを去ったこともあり、開幕からレギュラーとして41試合に出場する。岡山一成とともにチームのDFラインを牽引し、1年でのJ1復帰に貢献する。年代別日本代表では、チーム事情、監督の交代(大熊清から反町康治)もあり、1試合に招集されるにとどまる。しかも、怪我のために辞退している。
2007年では新加入の古賀正紘と共にDFラインを形成、J1最少失点を争うほどの強固なDFとなる。年代別代表では控えに回ったり、怪我人に替わって急きょ招集される事が多い。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 柏 | 13 | J1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 |
2005 | 柏 | 13 | J1 | 19 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 23 | 1 |
2006 | 柏 | 13 | J2 | 41 | 1 | - | 1 | 0 | 42 | 1 | |
2007 | 柏 | 13 | J1 | 25 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 31 | 0 |
2008 | 柏 | 13 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 53 | 1 | 9 | 0 | 2 | 0 | 64 | 1 | |
日本 | J2 | 41 | 1 | - | 1 | 0 | 42 | 1 | |||
総通算 | 94 | 2 | 9 | 0 | 3 | 0 | 106 | 2 |
[編集] 代表歴
- U-20日本代表
- 2005年FIFAワールドユース