小堀政峯
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小堀 政峯(こぼり まさみね、元禄2年(1689年) - 宝暦10年12月16日(1761年1月21日))は、近江小室藩の第5代藩主。父は第3代藩主・小堀政恒(政峯は三男)。母は側室の真光院(青山氏)。正室は戸田忠囿の娘・真珠院。官位は従五位下、備中守、和泉守。号は宗香。
元禄2年(1689年)、江戸で生まれる。幼名は重次郎。将軍綱吉の小姓を勤める。正徳3年(1713年)、先代藩主で兄の小堀政房が嗣子無くして若死にしたため、その養嗣子となって後を継いだ。伏見奉行、奏者番、そして2度にわたって若年寄を努めるなど、要職を歴任したことから、譜代大名並の格式を許された。宝暦10年(1760年)12月16日、72歳で死去し、後を子の小堀政方が継いだ。法号:泰清院。墓所:滋賀県東浅井郡浅井町の孤蓬庵。
茶法は兄正房や小堀十左衛門政孝や小堀土佐守政武に学ぶ。遠州流茶道5世家元。
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