宮城野橋
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宮城野橋(みやぎのばし)とは、仙台市都心部のJR仙台駅のすぐ北(北緯38度15分36秒東経140度53分10秒)にある自動車・歩行者両用の跨線橋。通称「X橋」(えっくすばし)。
地上の掃部丁(かもんちょう)・東北本線・仙山線・東六番丁の上を宮城野橋が直交してまたぎ、さらにその上を東北本線と並走するように東北新幹線が通過する。
2015年度完成を目標に、片側3車線(合計6車線)の橋に架け替える計画が進行中である。
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[編集] 建設の経緯
東北本線が開通する前は、仙台城大手門前を西端とする「大町・新伝馬町・名掛丁・二十人町」が仙台城下町を東西に貫くメインストリートで、現仙台駅付近ではその北側に元寺小路(東に鉄砲町が続く)が並走していた。これら2本の東西道は二十人町および鉄砲町の東で合一し、そのまま石巻街道として、仙台の外港である塩竈、日本三景・松島、東廻り航路の中心港・石巻へと繋がっていた。1887年(明治20年)、東北本線の開通に伴い、元寺小路と名掛丁の2つの並行する通りは東西に分断され、踏切が設置された。
踏切は、東北本線の複線化や操車場への線路増設などで、しだいに「開かずの踏切」のような状態となった。1917年(大正6年)頃、踏切閉鎖と跨線橋設置の案が出された。反対運動もあったが、旧仙台城二の丸の第二師団と、歩兵第四連隊(現榴ヶ岡公園)や練兵場(現宮城野原公園総合運動場)との間を安定的に結ぶため、歩兵四連隊の強い要請によって宮城野橋は建設された。
なお、名掛丁には線路の下を通る地下道が後に設置され、現在も使用されている。
[編集] 「X橋」の由来
1921年(大正10年)開通した初代の宮城野橋は、鋼拱橋で長さ30.8m、幅7.3m。並走する元寺小路と名掛丁を1本に束ねて、掃部丁・東北本線・東六番丁の上空をまたぎ、また2つに分かれるという「>―<」のような形であったため、いつからか「X橋」と呼ばれるようになった。その後は通称の「X橋」の方が一般に使われ、正式名称を知らない仙台市民が多くなった。
再開発ビルのアエルの建設に伴い、西側のハピナ名掛丁(中央通り)に繋がる南西行き部分がなくなり、現在は上から見ると「ヽ―<」すなわちyを横にしたような形となっている。そのため「y橋」という方がより実情を表しているが、いまだに「X橋」と呼ばれている。今後、仙台駅東第二土地区画整理事業により、東側の元寺小路に繋がる北東行き部分がなくなる予定であるため、「X橋」は普通の橋の形状になるとみられる。
正式な橋の名称ではないにかかわらず、通称の知名度が高くなってしまい、この付近を通る仙台市営バス、宮城交通バス路線のバス停名称も「X橋」だった。但し、二十人町と鉄砲町で一方通行になっており、二十人町経由の上り線にのみ「X橋」バス停は存在し、鉄砲町経由の下り線にはなかった。バス路線の廃止とともに停留所も廃止されている。
[編集] 周辺
X橋の北は花京院、南は名掛丁と呼ばれる地区であるが、両者をまとめた地区名として「X橋」「X橋周辺」「X橋周囲」と言うことが多い。X橋周辺を南北に貫く末無掃部丁(すえなしかもんちょう)・掃部丁・東六番丁などは、北の蜂屋敷(宮町の東。小田原遊郭があった)と仙台駅とを結んでいる。
仙台駅の北側に隣接してあるため、戦前からX橋周辺には下町的な商工業集積の他に旅館が多くあり、名掛丁・東六番丁近くには島崎藤村が「若菜集」を書いた三浦屋もあった。一部は現在も各種宿泊施設として継続して経営がなされているが、県外資本のビジネスホテルが周辺部も含めて進出して競争が激化している。
戦後、蜂屋敷の方は旅館街へと衣替えしたが、X橋周辺は特殊飲食店街となり、占領軍のアメリカ軍兵士相手のパンパン(街娼)が多かった(占領軍の基地に近い苦竹にはオンリーの家が多かった)。占領軍が去った後も街娼がいたが、1956年(昭和31年)の売春防止法施行後は激減した。しかし、昭和40年代になってもまだ存在し、仙台七夕の前に警察が一斉摘発するのが恒例となっていた。その後X橋周辺は風俗店がやや集積する地区となっていたが、東北新幹線建設に伴う仙台駅の建て替えで駅との間の地上の直達経路が無くなり、また、国分町が興隆してきたことによって下火となった。
X橋は仙台駅の東と西を繋ぐ交通量の多い道であるため、戦前から橋沿いに隣接して2階建て家屋が建てられ、橋に面した2階から出入りする形の店舗が軒を連ねていた(橋からみると平屋だが、実際は2階建て)。また、近年まで、X橋周辺は駅に近接しながら職住混在の典型的なインナーシティとなっており、宮城県の左翼勢力の拠点の1つともなっていた。
冷戦の終結に伴う左翼勢力の後退と仙台市の政令指定都市化で土地区画整理事業と再開発が進み、X橋沿いの店舗は取り壊され、周辺の風俗店もほぼ姿を消した。しかし、バブル崩壊でいくつかの再開発ビルが建ったところで頓挫していた。中途半端な再開発で留まったことで家賃の安い物件が多く残り、カウンターカルチャー系の店舗(クラブなど)が進出したが、仙台の不景気の底と見られる2003年以降、景気の上昇感によって再開発が再度軌道に乗り始め、地の利を生かした西側は徐々に20階~30階建てのビル建設が再始動し、東側はマンション街となりつつあるなど、近代的な街並みへと変貌してきている。
[編集] 作品の舞台
- 「X橋付近」(高城高。ハードボイルド・ミステリー小説。1955年)
- 「仙台の女(ひと)」(吉川団十郎。アルバム「陽陰者」収録の曲。1976年)
- 「X橋にガール」(熊谷達也。「懐郷」に収録された短編小説。2005年)
- 「X橋付近の時代」(高城高。『仙台学vol.4』収録の短編小説。2007年)
- 「X橋の虹」(熊谷達也。小説新潮に連載中の小説。2007年~)
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- 仙台在住の文人参照
[編集] 関連項目
- 花京院
- アエル
- 広瀬通り
- 中央通り
- 国分町 (仙台市)
- 北仙台
- X橋 … 富松川・東富松川・西富松排水路の3つの川が合流して庄下川となる合流地点上に架かる橋の通称。兵庫県尼崎市南塚口町8丁目(北緯34度44分52秒東経135度24分29秒)に所在。
[編集] 外部リンク
- 仙台駅周辺地図
- 駅東口・仙石線沿線 かわりゆくまち
- 1940年のX橋(戦前。東向きの写真)
- 仙台空襲後のX橋
- 仙台市戦災復興記念館 収蔵写真(仙台空襲後のX橋の写真あり)
- 1947年の仙台駅前(復興期。写真右上の東北本線にかかる鉄橋がX橋跨線部、写真中央上の低層家屋密集地が「X橋周辺」の西側)