宋津宇
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宋津宇 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 송진우 |
漢字: | 宋津宇 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
ソン・ジヌ |
ラテン文字転写: | Song Jinwoo |
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宋津宇(ソン・ジヌ) ハンファ・イーグルス No.21 |
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基本情報 | |
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国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 忠清北道曽坪郡 |
生年月日 | 1966年2月16日(42歳) |
身長 体重 |
180cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1987年 1次ドラフトでビングレ・イーグルスから指名 |
初出場 | 1989年4月12日 |
年俸 | 2億4000万ウォン(2008年) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
銅 | 2000 | 野球 |
宋 津宇(ソン・ジヌ、1966年2月16日 - )は大韓民国忠清北道曽坪郡(出生当時は槐山郡曽坪邑)出身のプロ野球選手(投手)。東国大学卒業。2008年現在、韓国プロ野球唯一の200勝投手である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1982年、高校2年生時に世光高校を黄金獅子旗全国高校野球大会で優勝に導き、翌83年には大統領杯で準優勝と輝かしい経歴をもち、東国大学へ入学。大学でもチームを大統領杯に導いたが、一時期ひじの負傷で野球ができなかった。1987年ビングレ・イーグルスの指名を受けたが、1988年ソウル五輪参加のため、入団が1年見送られ、卒業後、社会人野球チームに進む。ソウル五輪代表でも活躍し、1989年、プロ野球のピングレ・イーグルスに入団した。
新人だった1989年には、デビュー戦となった4月12日のロッテ戦を完封勝利で飾ると、この年9勝10敗9セーブと活躍し投手陣の柱となった。キャリア序盤は主に抑えとして使われた。1990年には最優秀救援(27セーブポイント)、1992年には最多勝(19勝)、最優秀救援(25セーブポイント)のタイトルに輝き、ピングレの黄金時代を支えた。1991年には日韓スーパーゲームにも出場し、甲子園球場で登板した際には、阪神のコーチから勧誘されたほどだった。長良川球場で行われた第5戦に先発し、勝利投手になったこともある。
投球スタイルは韓国プロ野球随一の技巧派として知られている。左のスリークォーター気味のフォームから投じられるストレートは135km/h前後だが、スライダー、カーブなどの変化球がさえ、卓越した投球術で打者に凡打の山を築かせる。そのため奪三振率は高くないが、非常に安定した投球内容を続け、先発した試合のテンポも速い。
1994年にチーム名がピングレからハンファ・イーグルスに変更されたあとも、右の鄭珉哲とともにチームのエースとして君臨し続けた。1997年、98年はともに6勝どまりと不振だったが、99年は15勝を記録しチームの韓国シリーズ優勝にも貢献した。2000年5月18日のヘテタイガース戦でノーヒットノーランを記録し、この年シドニー五輪にも韓国代表として出場した。
2000年に設立された韓国プロ野球選手会の初代会長にも選ばれ、2005年までその職を務め、「会長様」のニックネームもついた。30代中盤を過ぎてもその投球には衰えが見られず、2002年には18勝を記録し最多勝争い2位と活躍した。またこの年には宣銅烈の持つ韓国プロ野球個人通算勝利記録(146勝)を抜き、史上初の個人通算150勝も達成した。
2006年8月29日の起亜戦で、史上初の個人通算200勝を達成した。2007年5月には韓国プロ野球史上最年長登板、最年長セーブ記録(いずれも41歳3ヶ月)、9月には史上最年長勝利記録(41歳7ヶ月)を達成、これらの記録は彼が記録を重ねる度に更新されている。2008年現在、韓国プロ野球現役最年長で1980年代入団選手の中で唯一の生き残りである。2008年シーズンも現役でプレイを続け、韓国プロ野球史上初めて実働20年を記録する選手になった。また、2008シーズン開幕時に満42歳を超えて、2007年のフェリックス・ホセの41歳11ヶ月を抜き、史上最年長現役選手となった。
個人通算最多勝利数(203勝)以外にも、最多敗戦(145敗)、投球回数(2863回と3分の1)、奪三振(1970個)、四死球(1197個)など数々の通算個人記録の持ち主である。(※いずれも2007年シーズン終了時)
[編集] 韓国での通算成績(2007年シーズン終了時)
- 627登板 203勝145敗103セーブ 防御率3.45
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | セーブ | イニング | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 四死球 | 奪三振 |
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1989 | ビングレ・イーグルス | 35 | 9 | 10 | 2.81 | 9 | 156 2/3 | 116 | 57 | 49 | 7 | 93 | 97 |
1990 | 50 | 11 | 7 | 1.82 | 27 | 128 1/3 | 80 | 29 | 26 | 2 | 54 | 103 | |
1991 | 36 | 11 | 10 | 2.78 | 11 | 184 1/3 | 142 | 67 | 57 | 13 | 72 | 126 | |
1992 | 48 | 19 | 8 | 3.25 | 17 | 191 1/3 | 157 | 79 | 69 | 17 | 101 | 130 | |
1993 | 25 | 7 | 7 | 3.72 | 8 | 72 2/3 | 64 | 40 | 30 | 8 | 35 | 53 | |
1994 | ハンファ・イーグルス | 33 | 9 | 10 | 3.92 | 10 | 133 | 119 | 90 | 76 | 10 | 64 | 90 |
1995 | 26 | 13 | 8 | 3.20 | 0 | 183 | 165 | 78 | 65 | 11 | 79 | 121 | |
1996 | 31 | 15 | 9 | 3.25 | 0 | 213 | 185 | 80 | 77 | 18 | 94 | 160 | |
1997 | 27 | 6 | 12 | 4.60 | 0 | 146 2/3 | 156 | 85 | 75 | 17 | 61 | 73 | |
1998 | 24 | 6 | 10 | 4.79 | 0 | 114 1/3 | 125 | 66 | 61 | 19 | 46 | 72 | |
1999 | 35 | 15 | 5 | 4.00 | 6 | 186 2/3 | 180 | 99 | 83 | 24 | 64 | 132 | |
2000 | 28 | 13 | 2 | 3.40 | 4 | 135 | 121 | 60 | 51 | 19 | 61 | 105 | |
2001 | 37 | 10 | 8 | 3.84 | 2 | 185 1/3 | 181 | 99 | 79 | 20 | 95 | 139 | |
2002 | 31 | 18 | 7 | 2.99 | 0 | 220 | 199 | 82 | 73 | 16 | 65 | 165 | |
2003 | 42 | 14 | 9 | 3.12 | 5 | 129 2/3 | 111 | 48 | 45 | 9 | 46 | 93 | |
2004 | 28 | 11 | 8 | 3.61 | 1 | 172 | 162 | 73 | 69 | 19 | 51 | 100 | |
2005 | 23 | 11 | 7 | 3.81 | 0 | 127 2/3 | 126 | 61 | 54 | 13 | 49 | 88 | |
2006 | 26 | 8 | 8 | 3.60 | 0 | 147 1/3 | 147 | 64 | 59 | 10 | 56 | 94 | |
2007 | 42 | 2 | 2 | 4.54 | 1 | 35 2/3 | 34 | 19 | 18 | 5 | 11 | 29 | |
通算 | 19シーズン | 627 | 203 | 145 | 3.45 | 103 | 2863 | 2570 | 1262 | 1098 | 257 | 1197 | 1970 |