大河内政良
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大河内 政良(おおこうち まさかた、宝暦元年(1751年) - 天保5年8月2日(1834年))は江戸時代の旗本。旗本織田信義の八男。通称は十次郎、善十郎。官位は従五位下肥前守。
安永6年(1777年)8月13日養父大河内政義の隠居により、家督を相続する。大河内政義は、常陸国真壁郡内で500石を領有する旗本であった。天明2年(1782年)1月21日小姓組に加えられる。以後、小納戸・西丸目付などを勤める。文化8年(1811年)3月24日山田奉行に就任し、6月1日従五位下肥前守に叙任する。文化12年(1815年)12月15日小普請奉行、文政6年(1823年)4月12日普請奉行に転じる。文政11年(1828)10月15日徳川田安家の家老に就任する。文政13年11月高齢者のための名誉職であった西丸旗奉行に転じる。天保5年(1834)8月2日死去、享年84。平戸藩主松浦静山の著書『甲子夜話』に当時の幕臣長寿者として記載されている。
妻は大河内政義の養女(実父織田信尹)。長男政成、次男政直。