大司農
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大司農(だいしのう)は古代中国の官職名。秦代では治粟內史が国家の財政を管理し、漢の景帝が大農令と改名し、武帝が更に大司農に変え、九卿の一つになる。大司農の下には五つの部署(太倉(穀物の管理)、均輸(物資供給)、平準(物資価格の調節)、都内(国庫の管理)、籍田皇(皇帝の直轄地の財政管理))が設置され、それぞれに令と丞が一人ずつ置かれた。 それ以外には漢武帝が設けた塩鉄の専売の管理をした。 魏晋南北朝時代には、多くの国が大司農を設けて、国家財政の管理させ、重職となった。北魏の時、大司農の権限を新設の太倉尚書と分割し、大司農は織物と租税の部門を管理する役職へと、権限が縮小された。隋以降は置かれることがなく、元代に大司農司が設けられたが、職務内容は大司農とは異なっていた。