境関所
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境関所(さかいせきしょ)は、越中国境(現・富山県朝日町境)の北国街道に加賀藩が設けた関所。
口留め番所として設置していたものを慶長19年(1614年)に正式に関所として整備した加賀藩領の東端にある関所。加賀藩はこの地を直轄地とし国境警備に重点をおいたので、全国で規模でも最大級の関所であった。境川を接して越後国側には幕府が設けて高田藩が預かった市振関所(関所間の距離は一里)があった。市振関所の先が有名な親不知の難所となる。明治2年(1869年)まで国境警備を行った。関所には、海辺や海上渡航改めをする浜関所、街道通行改めの関所、海上や山中を不法越境するものを見張る御亭(おちん)、藩主が宿泊した「御旅屋」、射撃場、牢屋、役人の長屋、などがあった。
奉行は2~3年交代、5,000石から1,500石までの家臣がこの任にあたった。境は製塩が盛んであったので、御塩奉行を寛政8年まで兼務した。関所は、寛文6年以降、奉行、与力、足軽、小者計約30人、具足60、槍70、鉄砲70、弓30が備えられていた。これは箱根関所の2倍の規模である。昼夜交代で通行人改めなどを行った。
関連項目
- 長谷川宗兵衛2代目関所奉行