執権
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執権(しっけん)は、鎌倉幕府の職名。鎌倉殿を助け政務を統轄した。元来は、政所の別当の中心となるものの呼称であった。なお、鎌倉時代には院庁の政所別当も幕府に倣って執権と呼称された。
[編集] 沿革
いわゆる初代の「執権」は、初代将軍源頼朝の妻北条政子の父時政。時政の就任以来、北条氏の権力確立の足場となる。2代執権の北条義時が侍所の別当を兼ねてからは、事実上、幕府の最高の職となった。源氏の将軍が3代の源実朝で途絶えてからは、執権が幕府の実権を握るようになった。
6代の長時以降は、北条家の家督を継いだ得宗以外からも執権に就任するようになった。これ以降、得宗と執権が分離し、実際の権力は得宗が持つようになり、執権は名目上の地位となった。さらに、北条高時の時代になると、北条家の執事とも言うべき内管領の長崎氏が権力を握るようになった。
[編集] 関連項目
日本共産党は一時(1973年から1976年)「プロレタリアート独裁」という用語を嫌い、党の綱領で「プロレタリアート執権」という言葉を用いていた。現在ではプロレタリアート独裁に類する記述自体が削除されている。