四大法律事務所
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四大法律事務所(よんだいほうりつじむしょ)とは、ある地域において最も大規模な4つの法律事務所を特に指し示すときに用いられる呼称である。
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[編集] 日本の四大法律事務所
日本では、
- 西村あさひ法律事務所(旧・西村ときわ法律事務所、旧・西村総合法律事務所)
- 長島・大野・常松法律事務所(旧・長島大野法律事務所)
- 森・濱田松本法律事務所(旧・森綜合法律事務所)
- アンダーソン・毛利・友常法律事務所(旧・アンダーソン・毛利法律事務所)
をして一般に四大法律事務所という。いずれもいわゆる渉外法律事務所であり、四大渉外法律事務所とも呼ばれる(ただし近年は国内案件の比重増加の反映としての渉外案件の比重低下を受けて、自ら「渉外」と称することは少ない。)。また、各法律事務所は海外の法律事務所のネットワークとは直接の提携関係にはないものとされている。所属弁護士の人数はいずれも200名を超え、西村あさひ法律事務所については400名に近い。
四の数字は所与のものではなく、時として前三者のみで「三大」と称することもある。また、かつては「四大」に旧あさひ・狛法律事務所を加えて「五大」と称することもあった。
四大法律事務所は、それぞれ大規模事務所として、渉外案件ないしは(広い意味での)企業法務案件を担当する法律事務所であり、一般に、以下の各項に記述されるような共通する性質を有するとされている。
[編集] 日本における法律事務所の大規模化
[編集] 大規模化の経緯
所属弁護士が200名を超えるような大規模法律事務所が日本に誕生したのは、つい最近の話である。
大規模化は、1990年代末頃から、年度ごとの新人弁護士の採用人数を当時としては多い10名程度まで増やすことにより始まった。もっとも当時の日本の法律事務所は、大手と呼ばれるところでも所属弁護士が50名程度と、世界的に見れば極めて小さなものであった。
今のような大規模化の先鞭をつけたのは、2000年、長島・大野法律事務所と常松簗瀬関根法律事務所による合併である。この合併により、新人弁護士の入所を合わせると100名を超える弁護士の所属する事務所が誕生し、当時の法曹界においては大きなニュースとなった。その後、2002年に、森綜合法律事務所と濱田松本法律事務所が合併することにより、大規模化の傾向は、特定の事務所にとどまらないものとなった。
[編集] 主な法律事務所の統合
- 2000年 長島・大野・常松法律事務所
- 長島・大野法律事務所と常松簗瀬関根法律事務所の統合。
- 2002年10月 あさひ・狛法律事務所
- あさひ法律事務所(桝田江尻法律事務所と東京八重洲法律事務所が1993年4月に統合してできた法律事務所)と小松・狛・西川法律事務所の統合。
- 2002年12月 森・濱田松本法律事務所
- 森綜合法律事務所と濱田松本法律事務所の統合。
- 2004年1月 西村ときわ法律事務所
- 西村総合法律事務所とときわ総合法律事務所の統合。
- 2004年10月 西村ときわ法律事務所
- 三井安田法律事務所の解散に伴い、同事務所から前田博弁護士らのグループが西村ときわ法律事務所へ参加。
- 2005年1月 アンダーソン・毛利・友常法律事務所
- アンダーソン・毛利法律事務所と友常木村法律事務所の統合。
- 2005年7月 森・濱田松本法律事務所
- 森・濱田松本法律事務所とマックス法律事務所の統合。
- 2007年7月 西村あさひ法律事務所
- 西村ときわ法律事務所とあさひ法律事務所国際部門は、2007年7月1日に統合し、日本最大規模の西村あさひ法律事務所が誕生した。
[編集] 大規模化の理由
端的に言えばヒト・モノ・カネの流動のグローバル化により日本国内・特定分野などの専門性が顧客の需要に応えられなくなってきた事実を打開することが目的であることが大きい。
このような大規模化の理由としては、アメリカやイギリスの外資系法律事務所が日本に進出するようになったことによる影響が指摘されている。実際、渉外法律事務所の中でも、外資系法律事務所の進出により最も影響を受けたといわれるファイナンス系への特化の傾向が強かった常松簗瀬関根法律事務所、濱田松本法律事務所、友常木村法律事務所、三井安田法律事務所は、いずれも大規模な再編の当事者となっている。
- (もっとも、ここで外資系法律事務所とは、正確には外国弁護士のみにより構成される事務所のことではない。外国弁護士が日本法について法律事務所を行うことは弁護士法により禁止されており、外国法事務弁護士についても本国法に関する法律事務を行うことを許容されているのみであるため、外国弁護士と弁護士法に基づいて法曹資格を取得した弁護士との間で、日本法に関する法律事務を巡って競合関係に立つことは理論的にはあり得ないからである。しかし、「外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法」(いわゆる「外弁法」)の2003年改正(2005年施行)により、外国法事務弁護士による弁護士の雇用および外国法事務弁護士と弁護士等との共同事業(収益分配)が解禁されている。そして、外国法事務弁護士の事務所が、弁護士を雇用しまたはパートナーとして迎え入れた場合に、当該(日本法の)弁護士が、外資系法律事務所のレピュテーションや外国法に関するサポート体制(またはクライアントがそのようなサポート体制があると考えること)などを武器として、日本の弁護士・法律事務所との間で競合関係に立つのである。)
大規模化の第二の要因としては、法律事務所のいわゆる「総合化」、ワンストップ・サービスの実現があげられる。例えば、長島・大野・常松法律事務所は、コーポレートに強いとされた長島・大野法律事務所と、ファイナンス分野に強いとされた常松簗瀬関根法律事務所が合併したものである。また、森・濱田松本法律事務所は、国内法律事務所としてスタートし渉外分野に進出していた森綜合法律事務所と、渉外案件も含めてファイナンス分野で強い濱田松本法律事務所が合併したものである。また、西村ときわ法律事務所はコーポレート及びファイナンスに強い西村総合法律事務所が倒産・事業再生に強いときわ総合法律事務所と統合したものであり,さらに旧三井安田法律事務所の前田博弁護士らのグループを吸収してファイナンス分野を強化したものである。いずれも取扱分野が増えてシナジー効果も生まれたと考えられる。
また、大規模化が始まった当時より、M&Aや証券化、REITなど、大規模・複雑かつスピードを要する取引案件が急激に増大し、大量かつ信頼性の高い弁護士を投入することが必要となったこと、規制緩和(事前規制型から事後チェック型への移行)などを背景としてビジネス分野における弁護士の関与の度合いがより高まったことも大規模化の主要な原因として挙げられる。
さらに、大規模化による顧客誘引力、優秀な新人弁護士の獲得能力の増大も、見逃せない要因である。以前は法律事務所による広告が禁止されていたこともあり、日本では法律事務所に関する情報が外国に比べると極端に少ないこと、また、実質的な実務能力に関する評価は客観的に示しにくいことから、所属弁護士の数や当該法律事務所のブランドという外部から見て明らかに分かる情報に、顧客や新人弁護士などが左右される傾向が強く、法律事務所の評価に繋がっている側面が指摘できる。
[編集] 大規模化の現在及び将来
このような法律事務所の大規模化は、現時点ではおおむね成功していると考えられている。特に、日本国内におけるコーポレート案件・ファイナンス案件については、ここ5年で四大法律事務所による寡占化がかなり進んだと考えられている。これに呼応する形で、四大法律事務所に次ぐ規模を誇る法律事務所さえも、大規模法律事務所や外資系法律事務所の傘下に入るなどの対応を迫られてきたといえる。2004年には当時国内6番目の規模であった三井安田法律事務所が解散し、その多くは、外資系法律事務所のリンクレーターズと提携するか、あるいは西村ときわ法律事務所に吸収された。2007年には当事国内5番目の規模であったあさひ・狛法律事務所が解体し、約半数は西村ときわ法律事務所(統合によって西村あさひ法律事務所に改称)に吸収された。
もっとも、当面、急激に増加してきたM&Aなどの取引案件が減少に転じた場合に、大規模化の傾向が維持されるのかは疑問の余地がある。ただ、アメリカやイギリスなどの諸外国の法律事務所が数千人規模の人員を有していることからすれば、大規模化そのものは、まだ程度としては端緒に過ぎない、という見方もできる。例えば産業再生機構COO(当時)の冨山和彦は、自ら弁護士らとともに企業再生に取り組んだ経験から、「日本の経済規模なら二百―三百人級の大手が十は必要」と指摘している(7月14日日本経済新聞)。
もっとも、日本では主要先進国に比べて弁護士の数が少ないため、外国の法律事務所と日本の法律事務所の人数をそのまま比較しても意味はないと思われる。例えば、日本における最大の事務所には現在200名を超える弁護士が所属しているが、これは日本の法曹資格者約2万人の1%にも相当する数字である。これを法曹資格者が約100万人存在すると言われているアメリカに当てはめれば、1万人規模の法律事務所ということになるところ、アメリカには弁護士が1万人所属する法律事務所はないことから、日本で四大法律事務所に所属弁護士が集中している割合はアメリカ合衆国と比べて高いと言える。
[編集] 構成弁護士
かかる大手事務所に所属を希望する新人弁護士などが増加している近時の傾向もあり、所属する弁護士は、日本で最難関の国家試験といわれる司法試験に合格した者の中から、さらに選りすぐられた人材であると言われている。司法試験の合格者の平均年齢が28、9歳前後であるのに対し、四大法律事務所に所属する弁護士の司法試験合格時の年齢が概ね21歳から25歳であることも、その一端をうかがわせる。 しかしながら、日経弁護士ランキングを参照すると、意外にも、所属人数の割にランク入りする四大法律事務所所属弁護士は少ないため、少数精鋭のブティック型法律事務所の弁護士に対する期待が高まっている、四大法律事務所を超える粒揃いの事務所があるのではないか、という意見もある。
四大法律事務所の弁護士は、勤務開始から7~10年はいわゆるアソシエイト弁護士(勤務弁護士)として、パートナー弁護士(「共同経営者、もしくはそれに準ずる格を事務所内で有する弁護士)から指示された仕事を担当するのが通常であり、その後は海外留学などを経て、当該事務所のパートナー弁護士に昇格するのが一般の昇格ルートであった。そもそも現在の中核パートナーの多くは、事務所が大規模化する以前に各々の組織に入所した者がほとんどであり、自ら独立するのでなければ事務所でパートナーに昇格するのが当然の前提であった。
他方、今日の大規模化した法律事務所のアソシエイトのキャリアパスについては未だ明らかでない。上記のように大規模化とそれに伴う大量採用が本格化したのは2000年を過ぎてからのことだが、その後は合格者数の増加、法科大学院の創設などに対応して、採用者数は増加し続けている。これら若手アソシエイトのパートナー昇格率については、事務所の拡大と絡んで不透明な部分も多い。米国では1割~3割程度と言われているが、日本では現在まではそこまで厳しい競争は行われていない。しかし今後も同じペースで事務所の規模の拡大が進まなかった場合、いずれ昇格競争の激化が起こる可能性も考えられる。
[編集] 海外研修など
所属弁護士は、勤務開始からおよそ3~6年後にアメリカのロー・スクール(あるいはイギリスの大学院)のLL.M.コースへの留学を行うことが多い。大規模法律事務所に所属する日本人弁護士が増え、ロースクールへの留学を志望する人数が総体として増えていることや、近年は同期にあたる弁護士が一事務所で20~30名と増加していることによる同一事務所内での競争の激化などから、以前よりは留学への門は狭くなっており、今後のさらなる弁護士数の増加と相俟って、さらに競争が激化する可能性は高い。これまでは、典型的な例として、1年間のロースクール留学後、現地ないしはその他海外のロー・ファームで1年間程度の研修をするのが一般的と言えたが、前記の志望人数の増加や、アメリカの法律事務所が多数日本にも進出していることなどから、ロー・ファーム研修の可能性も低くなりつつある。
海外留学に限らず、若手から中堅にいたる弁護士の専門的研修などの意味合いや、弁護士の資格を有する人材への需要が拡大していることから、内外の金融機関などの民間企業への派遣や、法務省、金融庁、経済産業省、公正取引委員会などの官庁、日本銀行などの公的機関などへの出向という道も広がっている。
2006年より新司法試験が開始されたことによる合格者の人数の増加により、四大法律事務所の今後の採用活動には大きな変動の時期が訪れている。
[編集] 他国の四大法律事務所
- イギリス
イギリスの四大法律事務所(Big Four又はGlobal Quarter)は、クリフォードチャンス(en:Clifford Chance)、アレン・アンド・オーヴェリー(en:Allen & Overy)、フレッシュフィールズブルックハウスデリンガー(en:Freshfields Bruckhaus Deringer)及びリンクレーターズ(en:Linklaters)である。 これらにスローター・アンド・メイ(en:Slaughter and May)を合わせてマジック・サークル(en:The Magic Circle)と言う。これらの法律事務所のネットワークはイギリスだけでなく世界中に及んでいる。
- フランス
フランスの四大法律事務所は、Fidal、Landwell & Associés、Ernst & Young Société d'Avocats及びTajである。
- デンマーク
デンマークの四大法律事務所は、 Bech-Bruun、Kromann Reumert、Plesner及びGorrissen Federspiel Kierkegaardである。